新・菊舎慕情
「新 菊舎慕情」連載にあたり

田上菊舎の生誕地、山口県豊浦郡豊北町(現下関市豊北町)の「広報 ほうほく」に『菊舎慕情』の連載が始まったのは、今から七年前の平成11年4月からでした。それから5年間、60回をもって一応の完結をみました。
その後、読者の方から一冊の本としての出版をすすめられましたが、次々と資料が発見され、調査の結果、これまでの菊舎行程年次など加筆修正する必要が出てきました。
このたび、菊舎顕彰会がホームページを立ち上げましたので、さきの『菊舎慕情』に手を加え『新 菊舎慕情』として、毎月、連載していくことにしました。年次を追って、菊舎の俳句を載せ、その生涯や背景をわかり易く紹介していく予定です。どうぞ、ご愛読ください。

                    著者 
一字庵十一世 岡昌子
                  
著作権 菊舎顕彰会(無断転載を禁ず) 

新菊舎慕情 81
   こゝろ遊べ天涯比隣冬籠
 文化13年7月9日、菊舎の母タカが84歳でなくなります。それを漏れ聞いた大坂の歌仙堂(かせんどう)肖翁(しょうおう)(和歌の師)は、菊舎に宛てた悔やみの手紙に
永々御他国 御帰郷の上にて、此上なく存じまいらせ候」と、旅を日常としていた菊舎が、故郷で母の最期を看取ることが出来て安堵したと書いています。母が亡くなりしばらく病床にあった菊舎は、四十九日も過ぎた頃、また、旅に出ようとしました。傍目にも体力の衰えがみえる64歳の菊舎に、旅はもう止めるようにと客人が来て、「天地是我蘆」と書いた紙を渡しました。
おのれが旅好を留むとて天地是我廬といふ文字をしめし玉ふ 即事に感伏して郷の一字庵に落着くつろぎて」と前書きして詠んだのが前掲句です。
この言葉を胸に刻んだ菊舎は遠出をやめ、もっぱら後進の指導に力を注いでゆくことになります。
 是も天地吾廬ぞ月の床柱    (65歳)
 くむやけふ天地我炉の福加減  (71歳)
 柊さゝず天地我廬の節分は    (72歳)
 
大化13年 書留


菊舎慕情バックナンバー
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No.2 「月を笠に・・・ No.52 ひとりそっと・・・
No.3  「吾笠に・・・  
「染て行む・・・
No.53 牡丹見て・・・
No.4 秋風に・・・ No.54 うきわれを・・・
No.5  和らかに・・・
教えの春を・・・
No.55 海にむかふ・・・
No.6  「通さねば・・・
「関の戸を・・・
No.56 照らしてよ・・・
No.7 花見せる・・・
破れし・・・
No.57 つもるほど・・・
No.8 長門なる・・・ No.58 をしてるや・・・
No.9 世の俳人は・・・ No.59 月に花に・・・
No.10 姨捨てた・・・ No.60 天目に・・・
No.11 月も涼し・・・ No.61 ひかで遊ぶ・・・
No.12 姨石を・・・ No.62 けふは茶の・・・
No.13 しばらくは・・・ No.63 あそびきては・・・
No.14 笠ぬげば・・・ No.64 高麗も・・・
No.15  「見て居れば・・・ No.65 往て来ふか・・・
翅打て・・・
No.16  「関の渡辺氏一陽斎に・・・ No.66 いとゆふや・・・
No.17  「稲干て・・・ No.67 けつく空の・・・
No.18  「読みなをす・・・ No.68 老に恥ず・・・
No.19  「月や澄ん・・・
 「待受けて・・・
No.69