菊舎研究会だより

研究会だより 2012年

立春を過ぎ、木の芽起こしの雨で草木にも彩りが出てきたようです。
研究会だよりを御覧の皆様、こんにちは。いつもご愛読ありがとうございます。新年になってあっという間に一ヶ月が過ぎてしまいましたが、今年もよろしくお願いします。
年末年始、皆さんはいかがお過ごしでしたか?何十年ぶりかの寒波や積雪、お風邪を召された方も多かった事でしょう。不肖私も滅多にひかない風邪をご丁寧に2度もひき、知恵熱?まで出して、おとなしくせざるをえませんでした。ですが、24時間稼働中の菊舎研究会のこと、メンバーの活動は怠りなく続いておりました。
 昨年11月には念願の「菊舎すごろく」を発売。たちまち人気となりテレビニュースや新聞などで度々取り上げられました。顕彰会では今まで子供向けの菊舎関連書籍がなかったので、今回は子供から大人まで楽しめるものをということで製作したのですが、これが大好評。下関市内の公立小学校・幼稚園・保育所に寄贈。大変喜ばれて児童たちも熱心に取り組んで、早くも菊舎の俳句を暗唱してくれています。小さいころから俳句のリズムに親しむ事は、言葉を大切にする上でも大事な事。このすごろくをきっかけに菊舎に関心を持ってくれれば、顕彰会としても嬉しい限りです。
 さて、昨日は今年最初の菊舎研究会がありました。次号研究ノートの原稿最終調整で、各々の原稿を違う人の目で点検して検討協議、にぎやかに編集会議を終え、菊舎研究ノート第7号の素が出来上がりました。近時印刷所に回りますが、発行は4月1日の予定です。今回も多種多様な原稿が出揃いました。どうぞご期待下さい。
 研究会終了後、役員会が行われ、平成24年度の事業計画が決定しました。これから随時お伝えしていく事になりますが、また、会員募集の時期がやってきますので、こちらもどうぞ、よろしくお願いいたします。皆様からの会費で成り立っている顕彰会の活動です。いつもたくさんの方に応援していただき誠にありがとうございます。引き続きのご支援・ご協力を重ねてお願い申し上げます。今年の会員研修旅行は日帰りバス旅行。6月17日(日)佐賀へご案内します。詳細は会報でお知らせしますので、お早めにお申し込み下さい。

 春は名のみの・・と歌にありますが、本当に日差しは春・・。ですが、気温はまだまだ低く、寒さがぶり返すときもあります。お風邪などひかれませんよう、皆さんくれぐれもお大事になさって下さい。
解て行物みな青しはるの雪    菊舎」   『手折菊』より
 (吉村 ひとみ)    2012年2月6日


研究会だより 2011年11

菊舎顕彰会ホームページを御覧の皆様、こんにちは。
日中の陽ざしは暖かくても、朝夕はぐっと冷え込むようになりました。如何お過ごしでしょう。菊舎の故郷田耕も一段と紅葉が進み、山の景色も彩り豊かになってきました。
さて、このたび今年度の山口県文化功労賞を菊舎顕彰会の岡昌子会長が受賞されました。(詳細は山口県のホームページを御覧下さい。)長年にわたる菊舎の顕彰活動が評価されたもので、役員をはじめ私たち菊舎研究会のメンバーも大変喜んでおります。顕彰会員の皆様にもご報告をと思い、お知らせする次第です。
 岡会長は、平成9年田上菊舎の文台を継承、一字庵十一世となり、同時に菊舎顕彰会長となられました。菊舎顕彰会は、地元有志により昭和31年に設立されたものです。地域の人々に支えられて活動を続けるものの、人口減少著しい地方都市では存続はなかなか難しいところではありましたが、岡女史は会長就任後、顕彰会を再結成新たに会員を募集して菊舎再評価のための調査研究に乗り出しました。現存する古文書の整理・修復、解読や新資料の発見に力を入れ、これまで知られていなかった菊舎の詳細が明らかになってきました。そうして集められた資料は平成15年の山口県立美術館での「菊舎生誕250年記念・旅する女流文人田上菊舎展」へとつながりました。その展覧会にあわせて発行された『図録』の編集チームは後に菊舎研究会へと発展。現在も『菊舎研究ノート』などを発行しています。また、菊舎の旅の跡をたどる「ゆかりの地めぐり」は10回以上、京都はもちろん東は姨捨山・西は長崎まで毎回好評を博しています。こうした活動は、なにより菊舎の魅力をたくさんの方に伝えたいという岡会長の熱意あってこそ。地域文化の担い手として、表彰された事は誠にうれしいことです。
現在、顕彰会の会員は地元下関市のみならず山口県内外、日本全国に及んでいます。ひとえに会員の皆様方のご支援のたまものと御礼申し上げます。これからも菊舎顕彰会にご声援、ご協力よろしくお願いいたします。

 この11月、『菊舎すごろく』を発行しました。菊舎の旅の跡をたどって楽しく遊べるとても親しみやすいものです。こちらもよろしくお願いいたします!
 (吉村 ひとみ)    2011年11月15日


研究会だより 2011年 秋

菊舎顕彰会のホームページを御覧の皆様、こんにちは。いつもご愛読いただき有難うございます。
猛暑の今夏を如何お過ごしでしたか?熱帯夜が続き、寝苦しい夜が何日もありました。9月に入ってやっと涼風が吹いたと思ったら、今度は台風の被害が相次ぎ、これもまた心配なことです。菊舎の生まれ故郷、下関市豊北町は梨の産地。ちょうど梨の収穫期で、台風の被害を最小限に抑えたいと、生産農家はフル回転で作業をしていたとか。美味しいものをいただいて、初めて分かる生産者のご苦労です。
さて、地元下関市の広報紙、「市報しものせき」2011年9月号に菊舎顕彰会が取り上げられていますのでお知らせします。『元気まち物語』というコーナーで、顕彰会の概要と研究会のメンバーが集まって活動しているところや俳句会の様子が写真で紹介されています。取材の記者さんは、下関市広報広聴課の職員の方ですが、菊舎研究会の例会や俳句会にも足を運んで私達にインタビュー。いろいろと感心しながら熱心に取材をして、いい記事が出来上がっています。市内の各世帯に配布されますので、これまで菊舎顕彰会、または田上菊舎をご存知なかった方も関心を持ってくださるきっかけになれば、と思います。
本州の西端に位置する下関市ですが、菊舎を愛してくださる方の輪は、地元だけにとどまらずどんどん広がっています。今年3月11日の東日本大震災の被害にあわれた福島県にお住まいの菊舎ファンの方からは、「菊舎のことを知っていてよかった。私の心の支えになっている。地震は怖かったけれどなんとか乗り越えられる」と力強いメッセージをいただき、逆に私達が励まされました。
今年、顕彰会では「菊舎双六」を発行予定で、只今鋭意作成中です。11月中旬には出来上がります。また11月17日には下関市豊北町滝部に「下関市立豊北歴史民俗資料館」がリニューアルオープンします。建物は近代建築の文化財です。開館時には展示室に於いて、菊舎の作品が紹介されます。菊舎ゆかりの地での展示ですので御覧いただければ幸いです。菊舎双六もどうぞ、お楽しみに!
 (吉村 ひとみ)    2011年9月5日


研究会だより 2011年 夏

暑中お見舞い申し上げます。
菊舎顕彰会ホームページ御覧の皆様、お暑うございます。このところ猛暑日が続いていますが、いかがお過ごしですか。例年よりも早い梅雨明け、加えて節電で早くも熱中症で病院通いの方もおありでしょう。くれぐれもお大事にお過ごし下さい。
さて、7月上旬、研究会では今年度の現地調査で、近江・美濃方面へ出かけてきました。この現地調査は会員研修旅行の下見も兼ねていますので、いずれ皆様をご案内することになりますが、まずは、現存する菊舎ゆかりの史跡・名勝を記録に留めるべく、取材に奔走しました。(岡会長・真鍋・吉村の3名)
近江の国では、琵琶湖の南端周辺部を回りました。浮御堂・唐崎の松・三井寺・義仲寺・勢田の唐橋など。また草津宿本陣では、江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥りました。街道筋の道しるべに、往時菊舎がてくてく歩いていた姿が重なります。真夏の太陽が照りつける時刻、人影もなくひっそりとしているところが多く、現代人にはあまり関心が無いようなところですが、江戸の面影を探す私達には垂涎の場所ばかり・・。琵琶湖の周辺は私もとても気に入りました。湖面を渡る風に吹かれて散策、一幅の絵を見るようです。美濃の国では、谷汲山へ。西国三十三観音霊場の結びの地、満願成就の立て札もあちこちに見受けられました。また、岐阜市の長良川前のお寺は、菊舎も長逗留したところ。現存の本堂は菊舎が訪れた後の建築ですが、昔は長良川を望む位置に離れがあって、絵師や旅の客人を泊めていたとか。今はその離れがあった場所には違うものが建ってしまっていますが、菊舎が喜んで泊まっていたことは想像に難くありません。鵜飼の舟が眼前を行くのですから、俳人にとっては格好の場所です。風流は伝統とも密接に関係するものですね。
日中の最高気温が35度になった岐阜では、さすがに少々ぐったりしていましたが、菊舎ゆかりの場所での発見は、点滴を注射するより良く効く薬・・。無理をせず、適切に休憩を入れながら、無事現地調査を終え帰ってきました。皆さんも、今年の夏を上手に乗り切って下さい。食欲のないときには、菊舎の時代と同じく、梅干しと番茶が案外いいようですよ。
 (吉村 ひとみ)    2011年7月17日
唐崎の松(大津市)


 研修旅行報告

平成23年6月5日・6日の2日間、今年度の会員研修旅行に行ってきました。
俳聖松尾芭蕉の生誕地伊賀上野をはじめ、江戸の昔菊舎が訪れた三重県内のゆかりの地を廻りました。
今回の研修の参加者は、35名。地元下関以外からの参加も多く、全員が集合したのは新大阪駅。ここから貸し切りバスに乗車、まず伊賀市上野へ。蓑虫庵芭蕉翁生家の2か所を見学。蕉門服部土芳の居宅で芭蕉が詠んだ句から「蓑虫庵」と名付けられたとか。夏木立の中に建つ草庵も芭蕉堂も皆熱心に見学していました。続いて芭蕉翁生家では江戸時代の建物を懐かしく感じながらも、潜り戸の低い鴨居に頭をぶつけないように気をつけて見学しました。
次は亀山市関へ。関宿は東海道の宿場町ですが当時の姿を最も色濃く残しているところ。町並みをそぞろ歩いて、江戸の風情を満喫。保存のための地元の方たちの協力は多大なものだということも感じました。
宿泊は、長島温泉にて。今回は初参加の会員さんも多いため、会員交流も兼ねてにぎやかな夕食会となりました。それぞれの自己紹介で盛り上がり、盃を重ね宴果てる頃には、みなすっかり打ち解けていました。温泉で一日の疲れを癒しぐっすり休んだ翌朝は気分も新たに桑名市内へ。揖斐川沿いをたどって浜の地蔵堂を見学。次は七里の渡し跡九華公園・桑名城跡を散策。七里の渡しは江戸時代の東海道の渡し場の跡。はるかに宮宿熱田を望むところにあり、揖斐川の川幅の広さ、治水工事の歴史に感心。昔の人の暮らしの知恵にも頭が下がります。また、菖蒲の花咲く九華公園では、緑陰を求めてしばし休憩。いろいろな種類・銘の付いた花菖蒲を心ゆくまで観賞しました。桑名に来たらやっぱり「ハマグリ」だろうと、最後にハマグリ尽しの蛤御膳をいただきました。「名物に美味いもの無し」とは良く聞く話ですが、今回は違いました。おいしいハマグリを堪能しました。
楽しかった研修旅行もあっという間に終わりました。梅雨時ゆえ傘の準備も万全にしていたのですが、幸いお天気に恵まれ一度も雨傘をさすことはありませんでした。この旅行中の旅吟投句数は2日間で約200句。芭蕉翁を偲び、菊舎の旅心に思いを致してたくさんの名句が生まれました。参加者もまたの出会いを期して、名古屋駅で解散。西に東にと家路に着きました。
参加者の皆さんのご協力、関係各位様のご尽力のおかげで事故なく無事終了いたしました。心より御礼申し上げます。有難うございました。
 (吉村 ひとみ)    2011年6月7日
七里の渡し跡(桑名市)

ホームページ閲覧御礼
〜訪問者数最高記録を更新しました〜

菊舎顕彰会の公式ホームページを御覧の皆様、こんにちは。
いつもこのサイトを御覧いただき有難うございます。2006年3月1日に公開を開始して以来、たくさんの方に閲覧していただき、お励ましや、貴重なご意見も寄せられ、私達も大変ありがたく思っています。
さて、このたびNHK教育テレビ「心の時代」で、菊舎のことが取り上げられ『天地に自在たり』というタイトルで放送されました。たくさんの方に御覧いただいたようで、2010年10月10日(日)の放送日には、一日あたりのホームページ訪問者は、これまでの記録を更新して623件に達しました。早朝の放送時間帯でしたので、少し心配していたのですが、さすが全国ネット、北は北海道から南は鹿児島まで放送終了後から続々と顕彰会には電話・ファックス・電子メールが寄せられ、いろいろな感想が集まりました。
「衝撃を受けた」「こんな人がいたのを初めて知った」「気持ちが軽くなった」「勇気をもらった」「人としてのありようや生き方を教わった」等々。
そして、書籍の注文もたくさんいただきました。ここに重ねて御礼申し上げます。
私達菊舎研究会は、菊舎顕彰会の中の一つの組織で、会長を中心としてあらゆる角度から菊舎を研究していこうと活動を続けています。毎年、発行している「菊舎研究ノート」の編集や菊舎ゆかりの地の現地取材などを重ね、少しでも菊舎の全貌を明らかにしたいと思っていますが、菊舎は諸国を歩きたくさんの人と交流、そして、たくさんの作品を残した人です。まだまだ、パズルは埋まりませんが、みんな楽しみながらやっています。
これからも鋭意努力して菊舎の魅力を多くの方にお知らせしたいと思いますので、末永くお付き合い下さいますよう、よろしくお願いいたします。
最後に一つお願いです。皆様方のお近くに菊舎ゆかりの逸話や作品が残っていたら是非お知らせ下さい。菊舎顕彰会のデータベースに書き加える史料・情報になればありがたいです。また、ご意見、ご感想、質問等もお気軽にお寄せ下さい。お待ちしています。
 (吉村 ひとみ)    2011年6月6日
番組から

菊舎を追って〜三重

平成22年2月下旬、菊舎研究会の2人が菊舎を追って三重県内を取材しました。
伊賀上野・関宿・亀山宿・桑名と短時間にして濃密な2泊3日の旅でした。
詳細な報告は、来年発行予定の菊舎研究ノート第6号に掲載します。この項では、取材ポイントなど簡単に記しておきます。
伊賀上野はいわずと知れた松尾芭蕉の生誕地。城址公園、俳聖殿、芭蕉記念館、生家、蓑虫庵などを見学。伊賀者が塀の陰から急に出てきて、手裏剣が飛んでくるような楽しいイベントもあるようで、ちょっとタイムスリップしたような気分になるところもありました。
関宿では、旧東海道の町並みがよく残されていて、この道を菊舎も歩いたんだなあ・・と思いつつ、道幅の両側に立ち並ぶお店屋さんをガラス窓から覗き込みながら、ぶらぶらしました。また、亀山宿はあまり昔のものは残っていませんが、東海道の道すがらということで、足を運びました。
桑名では、ほぼ半日旧東海道を歩きまわり、菊舎の時代を髣髴とさせる渡し場などもゆっくり見ました。木曽三川はやはり大きいです。一級河川だけのことはあります。「その手は桑名の焼き蛤だ・・」とよく会話に出てきますが、桑名の蛤の美味しかったこと!私はこんなに美味しいのなら、一泡吹かされても食べたほうがいいと思いました。(笑)
今回は新幹線・高速バス・自家用車・在来線等を利用しましたが、まだまだ、菊舎の全行程には遠く及びません。あらゆる手段を駆使して、一日でも早く菊舎の道のりに到達したいものです。
 (吉村 ひとみ)    2010年3月6日
俳聖殿 (伊賀市)

長崎紀行

 炎暑の中、岡会長と研究員の吉村が、長崎での菊舎の足跡を調査・検証、ゆかりの地の最新の風景もデジカメに収め、基本資料に加えました。詳細は、次号(第4号)の菊舎研究ノートに掲載の予定です。

 平成20年7月22日〜24日、私達2名は長崎市を訪問。一般の観光客が行くような場所にはわき目も振らず、事前の調査資料をもとに尋ね歩きました。気温は30度をはるかに超え、あまりの暑さにスカーフを帽子の上から頬かむりするほど。怪しい2人とおもわれたかも知れません・・。ですが、今回も菊舎の行動半径と興味の幅広さに驚くばかり。菊舎が通ったであろう小路を歩くとき、菊舎と同じ気持ちになっていたように思います。異国情緒漂う長崎。江戸時代の唯一の世界への窓口。進取の気性に富んでいた菊舎には、楽しくて仕方がない場所だったのでしょう。異国人との交流には、その様子が窺えます。

 訪問した場所は次のとおりです。
長崎歴史文化博物館、永昌寺、聖福寺、崇福寺、興福寺、県立図書館、出島、唐人屋敷跡、料亭花月、梅園身代わり天満宮、中の茶屋、稲佐山、孔子廟、諏訪神社等です。
路面電車、バス、タクシーを駆使した移動でした。坂の町長崎は、高いところは眺望がいいのですが、歩くとなるとかなりの健脚が要求されます。またしても、菊舎の健脚ぶりが証明されました。すごいです。ですが、季節のいいとき、ぶらっと歩くのはいいかもしれません。その言葉どおり、“長崎さるく”が似合っています。今度は、皆さんと卓袱料理でも食べてみたいと思います。 
 (吉村 ひとみ)      2008年8月3日


七弦琴と源氏物語

 去る5月25日(日)、菊舎顕彰会の主催行事「菊舎を知る 文人尼の世界」が菊舎ゆかりの寺下関市豊北町田耕の妙久寺で行われました。昼・夜二部構成で七弦琴の演奏と聞香席・呈茶席が設けられました。
会場の妙久寺には、200人を超える来場者、菊舎の愛した七弦琴の音色を楽しもうと、遠くは東京、神戸、福岡からもご参加の方がありました。
「菊舎と七弦琴」については、研究ノート第2号に、「菊舎と源氏物語」については第3号にそれぞれ詳しく記述がありますので、ご参照下さい。

 今年(西暦2008年)は、源氏物語千年紀。巷間に流布して長く愛されている源氏物語ですが、今一度読み直す、もう少し深める機会として、大変良いめぐり合わせであると思います。奈良時代に日本に伝えられた七弦琴は平安時代中期にはほとんど演奏されなくなっていましたが、源氏物語は、その100年前くらいの時代設定で書かれていますので、七弦琴が弾かれていたという内容も納得です。主人公、光源氏は七弦琴の名手。文中では、旅先の無聊を慰めたり、宴の場面に七弦琴を爪弾く様子が描かれます。また、絵図にも七弦琴が残り、「キンのコト」が大切に扱われています。

 今回のイベントでは、私は聞香席を担当させていただきました。菊舎も聞香したであろう事は、想像に難くないのですが、現代の皆様にも平安の雅を体験していただきたいと、「源氏香」を準備しました。源氏香は源氏物語の巻名をあてはめて江戸時代に完成した、組香の古典です。初心者にはかなり難しい要素もあり、うまく聞き分けていただけるかしら、と心配しましたが、さすが菊舎を愛する皆さんは、好奇心旺盛、定員を大幅に上回る参加者を得て、和やかに進行しました。香席は、妙久寺の庫裏に設営されましたが、座敷を回る廊下は、寝殿造りの(ひさし)の間にも似て、立ち昇る伽羅の香、衣ずれの気配、雰囲気は最高に盛り上がり、静かに香を聞く姿はまさに平安の大宮人。源氏香が、当たったか、外れたかは別として、最初は緊張した面持ちだった初体験の方も香を聞くうちに馴染み、香満ちる頃には、思わず紅潮したり、にこやかな表情になったりと感想も様々でした。

 七弦琴の音色を楽しみ、香を聞く。今回は、文人のたしなみをいっぺんに経験する貴重な機会だったと思います。呈茶席には、まさに新茶の季節にふさわしく「山門を出れば日本ぞ茶摘歌」の軸も掛けられ美味しい抹茶・主菓子もいただきました。私の心境としては「余情残心」という言葉がぴったりでした。七弦琴の余韻と残り香に酔いしれ、菊舎の遊び心を垣間見た皐月の一日でした。   
 (吉村 ひとみ)      2008年6月8日


「研究ノート第3号」への感想

『菊舎研究ノート』3号刊行以来、早速、各方面から資料や情報の提供が寄せられ、大変ありがたく、この場を借りてお礼申し上げます。
本日届いた諸先生がたの感想を、ご紹介いたします(抜粋)

☆ 『菊舎研究ノート』3号拝受、一層の充実ぶり、顕彰の実、如実に窺われ、
安楽国の尼君(菊舎尼)も定めしお喜びのことと存じます。・・(吹田市 M師)

☆ 『菊舎研究ノート』3号、お届けいただきありがとうございました。
菊舎研究に情熱をそそいでおられる日々を想い、心から敬服いたしております。
地元から発信される情報ほど大切なものはございません。どうぞ全国のどこの人にも
できない良いお仕事をつづけられるよう、心からおいのりしています。(春日市M女史)

☆ 『菊舎研究ノート』3号の充実した内容に、すこやかに発展する会のお姿を見ました。
  並々ならぬ意気込みを感じ取ることができます。敬意を表します。・・・(佐賀市T師)

―『菊舎研究ノート』3号 入手ご希望の方は切手1000円同封の上顕彰会まで申し込みくださいー 
 (岡 昌子)      2008年4月16日

「研究ノート第3号」の発行によせて

 昨年は、菊舎俳句「薦着ても好な旅なり花の雨」が、朝日新聞連載の「折々のうた」の最終回を飾り、菊舎を知らなかった人々の間に、女性俳人田上菊舎の名が大いに喧伝された。そのため、菊舎とはどんな人物か、菊舎の俳句を読みたいという方が、当ホームページを訪問され、各種のお問い合わせをいただいた。それをご縁に、新たな交流がはじまっていることも有難い。
さて、今年の『菊舎研究ノート』3号は、本日、初校を終え、これから二校、三校と進み、予定通り4月1日発行出来る見通しがたった。研究会員の熱意により、ますます充実した内容となっていて、自画自賛だがすばらしい。
限定品のため早めに入手されることをお勧めしたい。
(1部700円+送料300円)申し込みは菊舎顕彰会まで 
【 内 容 】
  ・新出資料調査報告
   ―改号に係わる考察、菊車から菊舎へ― ほか
  ・ 菊舎の行程検証 その1
   ―行脚出立から、美濃大野傘狂入門まで―
  ・ 住居推論
   ―菊舎はどこに住んでいたか―
  ・ 菊舎の茶会記をよむ (中)
  ・ 菊舎の漢詩 
   ―中国文化へのあこがれ―
  ・ 新しい視点から見た菊舎
   ―卒論を書き終えてー
  ・菊舎資料におけるお金の話 
  ・ 千年紀 源氏物語と菊舎
  ・ 熊本紀行
   ―菊舎を追ってー
  ・ 本願寺日野誕生院の菊舎句碑
  ・ 京都詩仙堂秘蔵七弦琴と菊舎

 (岡 昌子)      2008年3月10日

研修旅行を終えて

 8月26日から28日まで、信州信濃路へ菊舎ゆかりの地めぐりに出かけてきました。
参加者の皆さんのご協力のもと、無事に済みましたことお礼申し上げます。

 江戸の昔、菊舎が訪ねた場所を今回再訪したわけですが、どこもイメージがふくらむいい雰囲気のところばかりでした。ススキの揺れる妻籠宿、昼神温泉、茅葺き屋根の蕎麦処、加舎白雄資料館、炎天下の川中島古戦場、善光寺・堂照坊、姨捨山、戸倉上山田温泉、上田城、成沢雲帯旧宅等々菊舎が訪ねた折の光景が、眼に浮かぶようでした。
また、姨捨山の菊舎と伝五郎さんのエピソードよろしく私たちも今伝五郎さんたちとの楽しい交流をし、今につながるご縁を感謝したことでした。千曲市の皆さん、お世話になりました。

 残暑厳しく、2泊ということで体調管理も心配しましたが、参加者全員事故もなく菊舎追っかけの旅を楽しんでくださったようです。各方面からのご協力を深く感謝いたします。どうもありがとうございました。
(吉村 ひとみ)      2007年8月29日


菊舎の足跡を追って

 昨年12月から、菊舎の足跡を追って三か所の現地調査を行った。長野、熊本、厚狭・防府である。
 200年余前、菊舎が滞杖した地元の寺や有力者たちの跡を訪問した。菊舎自身が書き残したもの、研究会が収集した資料を事前に整理して、各方面に協力要請をしての調査の旅である。菊舎は諸国行脚をした尼であり、交流人物も多岐にわたり、行程もまだ正確には判っていない。そこを少しずつでも探っていこうと研究会員は目指している。
 とはいえ、現地を踏まねば、机上の資料分析では解けないことがあり、各地で菊舎が交流した末裔の方や、その土地にお住まいの菊舎顕彰会員、あるいは地元の学芸員さんなどにご案内を乞う。今回もありがたいご縁ばかりであったが、いつも思うことがある。「現地調査は急がねばならない」。「その土地のことはその土地の人に話を聞く」。長い歳月を経て、現在、往時をしのぶ邸宅・蔵・資料の保存が危機状態にあること。そして、その地の昔のことを知らない人が増えていること。それを痛切に感じる。
 今回の長野、熊本、厚狭・防府の現地調査は、その地その地でよきお方と出会い、献身的なご協力をいただいて、研究会としては大変収穫の多い旅であった。改めて、心よりお礼を申上げる。調査結果は来春発行の「菊舎研究ノート3号」に掲載予定である。
(岡 昌子)      2007年8月15日


最近の研究会の活動から

 4月に、菊舎研究ノート第2号を発行してから2ヶ月。5月6日の総会でノート執筆陣がそろって、パネルディスカッションに参加しました。資料収集の苦労話、原稿書きの様子などを披露し、会場からも質問が多数出され、予定時間を過ぎるほど各種の話題で盛り上がり、また一段と菊舎への関心が深まったと好評でした。
 また、5月末には、研究会員が熊本へ現地調査に赴きました。菊舎の足跡を辿るためです。菊舎の健脚をまたしても実感することになりました。(この調査の詳細は、次号の研究ノートでご紹介の予定)
 先日の6月例会では、以前に投げかけていた資料収集・調査の返信が続々寄せられていることの報告がありました。県内はもとより、遠く新潟県からも貴重な資料が寄せられており、菊舎が歩いた道、出会った人など既知のものに加わる新情報が出てくる可能性を秘めています。
 ノート第3号へ向けての調査や資料集めも、すでに始まっています。研究会で進捗状況を報告したり、みんなで資料の精査をしたりと、研究会はいつもにぎやかに和やかにそして充実した時間を菊舎とともに過ごしています。
(吉村 ひとみ)      2007年6月18日


「研究ノート第2号」の発行によせて

 菊舎研究会が発足して、丸3年。メンバーは親しみを込めて、"菊研"(きくけん)と呼んでいます。例会は月に一度ですが、それだけでは間に合わないこともあり、電話やメールでも情報交換しています。
昨年末の例会の折、研究ノート第2号の編集会議が行われ、編集方針・執筆分担を確認しました。メンバー各人の専門分野、趣味の知識を駆使して、鋭意執筆。それぞれの本業を勤めつつ、サイドワークでの研究ですから、不十分なところもあるかも知れませんが、何とか原稿が集まり、上梓の運びとなりました。
創刊号発行後、たくさんのお問い合わせを頂きました。そして、完売できましたことを改めてお礼申し上げます。お待たせしている第2号は、4月中旬にはお届けできそうです。今号は、菊舎の人間像に迫る渾身の原稿ばかりと自負しています。執筆した研究会員も、執筆しながらまた一歩菊舎に近づいたような気がしています。俳人のみならず、文人、はたまた総合芸術家としての菊舎の真骨頂を少しでも、感じ取っていただければ幸いです。
研究ノート第2号のご予約も多数頂き、ありがとうございます。まもなく刊行ですので、お楽しみにお待ち下さい。菊研は、今日も菊舎資料と格闘しています。
(吉村 ひとみ)      2007年3月28日


「菊舎研究ノート」を発行して

 4月発行の「菊舎研究ノート」をテキストに、5月7日午後、研究発表を行った。菊舎に関心をお持ちの方々が、各地よりお越しになり熱心に聴講くださりありがたいことであった。また、各新聞社が大きく報道したため、「菊舎研究ノート」の購入希望者が殺到して、うれしい悲鳴をあげた。そして、自宅や親戚、知人宅にある菊舎作品の写真や情報を寄せて下さるとともに、あたたかい励ましもいただき感謝している次第である。
 研究会では、それぞれの研究員がすでにテーマを決め、資料整理や調査にかかっている。明年の「菊舎研究ノート」は、菊舎にかかわる系譜、茶事、七弦琴、その他いまだ明らかにされていない資料をもとに、事実を追い求め、興味深い発表が出来ると思われる。これからもみなさまのご支援を仰ぎつつ、研究会メンバー一同、検証作業をつづける所存ですので、よろしくお願いいたします。
2006年5月28日


菊舎と七弦琴

 寛政5(1793) 年秋、江戸を再訪した菊舎(41歳)は、木工屋作左衛門から七弦琴を贈られ、江戸在の薩摩藩士菊地東元に弾琴を学んだ。 その後、京都在の中納言平松時章(琴仙公)や、伊勢の永田蘿道にも弾琴を学んだ。
 文政9(1826)年8月、74歳で亡くなるまで、菊舎は七弦琴を片時も離さないほど愛した。この間、江戸、伊勢、大坂、九州などの琴士たちと交友した。これらの人々の記録に菊舎のことが掲載されている場合がある。
 先日、大坂の鳥海翁雪堂の「鳥海翁琴話」に、菊舎のことが記されていることを、岸邊成雄著「江戸時代の琴士物語」から知った。七弦琴のことはもちろん、菊舎やその他の琴士たちの調査研究書だが、その見事さに感動を覚えた。著者の岸邊先生は、昨年お亡くなりになられたという。もっと早くこの本に出会っていたならば・・・と残念に思った。
 菊舎の足跡は、菊舎自著の稿本や書簡来簡から主に調査するのだが、今回のように交流人物が、菊舎のことを書き留めていてくれることも多い。これからは、むしろ後者の場合が期待される。俳句のほか漢詩・和歌・茶事・七弦琴・書画・鼓など多芸ゆえ、どこから菊舎の名前が挙がってきても不思議ではない。菊舎の全貌追跡に加わっていただけるならば幸いである。
2006年4月19日


「菊舎研究会」の紹介

 菊舎研究会は平成16年4月発足し、メンバーは約10名。毎月集まり、菊舎の軌跡をたどる調査や話し合いを行っている。
 江戸期の菊舎の調査は、行動範囲・交流人物・諸芸など、どれをとっても他に類を見ないスケールの大きさで、いまだ謎の部分も多い。それだけに真相を解明していく楽しみも残されている。新出資料により、これまで不明であった菊舎の旅程や交流人物など、徐々に明らかになっている。
 それらをまとめて近日「研究ノート」を発行する。しかし、まだ日本のいたる所に「菊車」「一字庵」「菊舎」「長門 菊舎」と賛をした書簡、書留、軸物など残存していると考えられる。お目に止まればご一報いただくと幸いである。
 これから、不詳の部分は掲載して、各地の諸賢のご教示を仰ぎ、「人間菊舎」の全貌を解いていきたいと考えている。情報をお寄せ下さい。
☆大坂の人物探し  期間 天明元年(1781)〜文政9年(1826)
一、 馬場栄子      俳号賈玉。ざこや三郎右衛門の妻。堀江に別荘。
               菊舎が弾琴(七弦琴)を教える。
二、 川井不関・歌仙堂 肖翁。 歌人・菊舎の和歌の師。
               文化9年(1812)岸根今宮に歌仙堂を築く
三、 谷清(瀬)兵衛   大坂田簑の島。菊舎の定宿。
四、 寺井種僖      大坂田簑の島
五、 鳥井玉江
六、 山田与兵衛    俳号花孟 大坂江戸堀一丁目 助松屋か山田屋か
七、金屋六郎右衛門  文化12年(1815)年菊舎に鶴毛織を贈る

2006年3月4日

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