頭 陀 袋 (一字庵通信)
 新しいコーナーの扉を開けていただいてありがとうございます。
菊舎に関する新着ニユース、情報、文化交流など、頭陀袋からつれづれなるままに取出してまいりたいと思います。
「開けてびっくりポン!」の話題も、時にはあるかも・・・。
どうぞ、お付き合いください。
  一字庵十一世・岡 昌子 記 
頭陀袋 その四】

 皆さん、こんにちは。長い間ご無沙汰しましたが、コロナ禍をいかがお過ごしでしょうか。当地は人間よりも野生動物の数の方が多い過疎地で三密の心配はありません。とはいえ、文化活動も自治会の集会も自粛中で何とも寂しい限りです。
 そんな中、先日行われた豊北小学校の俳句教室に、菊舎顕彰会の皆さんと出かけました。
 豊北小学校は、今年度から町内で一つの小学校となり、在校生213名となりました。菊舎生誕地の田耕小学校から滝部小学校、そして豊北小学校へと統合が進みましたが、俳句を通じて何年も交流は続けています。児童数が増えるにつけ指導方法も変えてきましたが、今回は、俳句会の同志7名の協力を得て、22日午前、5・6年生74名、午後3・4年生74名各90分の出前授業を行いました。
 密集をさけ、体育館でプロジェクター2台を使用した句会ライブを初めて取り入れたのですが、先生方の手際よい作業のおかげもあり、予想以上におもしろくて素敵な俳句が生まれました。6つの各班から2句の代表句を出し12句が映し出されます。1句ずつ読み上げられるたびに、全員が好きな句に挙手(2回のみ、自作は省く)、点締めして1位2位3位が決定。作者にも俳句づくりを頑張った全員にもみんなで拍手!
 初めて俳句にチャレンジした子もいますので、まず導入は俳句のきまりから、5・7・5の17音と季節の言葉の季語をひとつ入れること。実作は、五感を働かせて5音7音を自由に書かせ、12音にする。そして季語を最後に取り合わせる方法でやってみました。
 結果は画像で確認いただくことにして、10点以上入った児童たちの作品をご覧ください。1・2年生の俳句教室は30日午前です。

 上級生の部
   名月や出るか出るかと母と子か
   雨の日にしかの鳴き声とおくから
   えんぴつで長さをはかる秋の雲
   つれもどす現実世界秋ともし
   夕やけのかいだんダッシュ父の声
   秋の雨ピアノの音をけしにけり


 中級生の部
   ぶらんこにのってみあげたうろこ雲
   きのうより冬が近づくシャツ二枚
   うわぐつのうらについてるおちばかな
   にぎりめしじぶんでつくる今朝の秋
   給食のさんまはうましたれのこる
   秋の夜スマホ見てたら夜八時

 
 
 
 
 
   (岡 昌子)   2020年10月25日

頭陀袋 その三】 

皆さまお健やかに2020年の新春をお迎えになられましたでしょうか。
約1年ぶりの当コーナー、たいへん失礼しました。

白内障の手術は無事すんだものの、その後も体調が思わしくなく、平成9年(1997)秋に引き継いだ顕彰会の会長を退かせていただきました。
皆さまにはたいへんお世話になり有難うございました。
昨年9月に悪性リンパ腫が見つかり、現在、通院して抗がん剤治療をうけています。脱毛や手足のしびれなどの副作用はありますが、おかげさまで日常生活はできています。
 
 さて、今年も地元の
滝部小学校恒例の新春俳句相撲大会が1月15日に開催され、指導に出かけました。
進行は昨年と同じ(頭陀袋70記載)ですが、今年の席題は子年にちなんで「
嫁が君」と「初夢」。
初めて耳にした季語に「エ~」という表情の児童達。そこで、持参した打ち出の小づちを取り出し「
嫁が君」の説明をしました。古くから大黒さまの使いとしてネズミを祭り、米や餅を供えてもてなす習俗があったことから、正月三が日のネズミを「嫁が君」と呼んでいます。
子年の新春、この季語にチャレンジしてほしいと激励して作句開始。4、5名のグループ12チームから制限時間内に代表句を決定。東西に分かれてトーナメントで横綱をめざします。
相撲に参加する5,6年生のほか見学の3,4年生も席題に挑戦、相撲の判定にも参加しました。当日句を抜粋し紹介します。

横綱 
夢はじめ富士が見たいと願う子や
大関 
キッチンでねらいをそこねる嫁が君
関脇 
きょうぼうなねこも敬う嫁が君
    
ぶつだんのすみから顔出す嫁が君
    
嫁が君うちでのこづち買いに行く
    初夢や忘れ悲しむお姉ちゃん
    初夢やまだいをつった姉はあじ
    初夢やツリーハウスにねころがる


    ・・・・以下3,4年生・・・
    
嫁が君ふれればひびくすずの音
    おしいれにねずみとりきや嫁が君
    はつゆめやふじのちょう上タカがとぶ
    母さんと同じ夢なり夢はじめ

今春から豊北町内の小学校が一つになり、名称も豊北小学校となるそうです。
菊舎を輩出したこの地に俳句文化が根付くように、これからも力を注いでまいりたいと思います。

 
 
 
 
  (岡 昌子)   2020年01月21日
頭陀袋 その二】

 花のお江戸から帰庵して頭陀袋を置くと、翌日からかかりつけの内科で定期のエコー検査、そして耳鼻科、今日は眼科と医者めぐり。昔、父が母に「寺参りならぬ、医者参り
と茶かしていたのを懐かしく思いだします。
 明後日14日には、右目の白内障の手術を受けまして、一月後の3月には左目もする予定です。とても大事な眼を手術するなど怖い事だと想像していましたが、聞くと知人の多くがいとも簡単に「私もしているよ」と言うので不安は一蹴! 分厚い眼鏡をかけていた母の遺伝か、コンタクト生活が半世紀以上の私。度近眼が一変するかと思いますと、恐怖よりも期待で心がはずんでいます。
 免許更新のための認知症試験も無事パスした新米後期高齢者は、この際眼も新調し、新しく出直します。
さすがの菊舎さんも、今の御世を覗かれたらびっくり仰天でしょうね。そんな訳で、当コーナーも眼が良くなりましたならまたということでお許しください。

 しかし、「顕彰会会報」が刷上っていますので、準備ができ次第発送いたします。
新年度の楽しい企画などもご紹介しています。ぜひご覧ください。
そして、このページを閲覧くださっている貴方様のご入会を心からお待ちしています。
年会費1口1000円です。口座振込 は、(郵)01350-2-64148 菊舎顕彰会宛です。よろしくお願いいたします。
   (岡 昌子)   2019年2月12日

頭陀袋 その七十一】 

 2019年の初旅は、平成式頭陀袋を首にかけ2泊3日の日程で東京に行った。
我々の句会から、NHK全国俳句大会に秀作2句・佳作6句・入選6句が選ばれ、4名で上京。
20日の大会前日、会場のNHKホール近くのホテルに荷物を置いて、すぐに「ゆりかもめ」に乗り話題の豊洲へ。
天気も上々、最前列で視界もよくまるで運転者気取り。
テレビでお馴染みの市場を見物し、帰りは憧れの東京駅をバックに記念撮影。新幹線から見えた富士山の見事さと共に、夕映えの東京駅も美しく旅心は最高潮 !
 
 20日NHKホールの開場は11時30分だが、朝食を済ますとすぐに出かける。
おのぼりさんは、ちょっとの時間も惜しい。
昨日、歩き過ぎたのでスタジオパークをゆっくり見物するように出たが、案内役の彼が自由行動している間、女三人は代々木公園のテント村フリマに夢中・・・。孫たちへ土産をと道草をする。これが何とも楽しい。

開場10分前には、下関から東京に移住した菊舎顕彰会会員で句友でもあるH氏とホール前で落ち合う。1年ぶりの再会でとてもなつかしい。13時の開会までのわずかな時間、互いの近況報告をする。

いよいよ全国俳句大会の開幕!緞帳があがる。
紅白歌合戦と同じステージの雛段に、選者を囲んで題詠特選者と自由題特選者が左右にやや緊張気味に整列している。知り合いの選者の顔も見えるが声はかけられない。それから、16時まで一回の休憩をはさんで予定通りに進行するが、観覧者も動けないので結構疲れる。壇上の方はさぞかしお疲れになっただろうと思った。
特選4回目の方、92歳の高齢の方、俳句を初めて2年目の方もあり、来年に向けて刺激を受けた仲間は「紙おむつをつけても来年は壇上を目指す」と豪語・・・。
大風呂敷を土産に帰途についた。
 
     【秀作・佳作の作品紹介】
  小澤 實選 秀作 ・岸本尚毅選 佳作
   
天窓に嵌まる満月祖母湯灌

  夏井いつき選 秀作 ・櫂 未知子選 佳作
   
天高し家族みんなの鎌を研ぐ

  高柳 克弘選 西村 和子選 佳作
   
天窓に足跡のありクリスマス

  星野 高士選 佳作
   
帰らざる回天の海銀河濃し

  小島 健選  佳作
   
菊日和母に卒寿の膝小僧

  (岡 昌子)   2019年01月23日

頭陀袋 その七十】

 1月17日、下関市滝部小学校で「新春俳句相撲大会」が開催されました。
5・6年生が干支の12チームに分かれると席題が発表され、各々一句を詠みます。

今年の席題は「書初め」と「お正月」。どちらで作ってもいいのですが、時間は15分。
3・4人のグループのなかから、相談して相撲をとる代表の1句を決めます。
お正月」の方が敬遠されるかなと思っていたのですが、提出句は半々。
休憩中に大きく清書された句札を東西に分け、4年生や保護者の参観者も加わり、
みんなで赤と青の東西の団扇を持ちいよいよ俳句相撲がはじまりました。

拍子木が打たれ行司姿の教頭先生、声もよろしく ・・東~、西~と、俳句(関取)を土俵によびだし
見合ってハッケヨイヨイ・・ノコッタ」で、すばやく団扇をあげます。挙がった団扇の数で
勝ち負けが決まっていきます。生徒の俳句力が底上げされたのか、なかなか伯仲した取組が多く、行司の軍配もすぐにはあがらないほどのよい勝負でした。

校長先生をはじめ諸先生方の日頃のご指導の賜でありましょう。「ダサイ」「マジ!」などの日常会話が蔓延するなか、本来の日本語が話せない若者が増加しています。
これは日本文化の消失に直結する大きな問題です。俳句に親しむことによって、人生は今よりももっと豊かになります。17音のなかに、天文・地理・行事・生活・動物・植物・宇宙・社会問題・世界観まで自在に詠み込め、「ハイク」と世界に誇れる我が国の文化です。
見学された豊北中学校の校長先生も「小・中・高が連携して俳句学習をと・・・」と話してくださり、とても心強く、今後に期待がもてました。

菊舎を輩出したこの地の学校から、「俳句大好きー」という人がどんどん出てきますよう念じつつ・・・、新春俳句相撲大会の小学生の優秀句をご紹介します。
 
  正月にみなで笑った祖母の家
  お正月福をよぼうと天あおぐ
  顔にすみ飛び笑い声筆はじめ
  初すずりかすれた文字に思いよせ
  一画目手に汗にぎる書き初め
  書初めや一字一字に願いこめ

  (会場を沸かせた俳句)
  お正月おっさんたくさんビールのみ

 テレビ放映や新聞にも掲載されました。
 

   (岡 昌子)   2019年1月18日

頭陀袋 その六十九】 

 
初空のみどりにそよぐけしき哉  菊舎  (1813年・在京)

皆さん、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 平成9年から菊舎顕彰会の会長を引き継ぎ、早いものでもう22年経ちます。
その間の活動を振り返ってみますと、まさに猪突猛進・・・。
一字庵文台附属文書の裏打ち・解読から始まり、生誕250年記念の山口県立美術館での菊舎展、各種企画展、刊行物の発刊など枚挙にいとまがないほどの活動をしてまいりました。会員さんをはじめ多くの皆さまのお力添えのお蔭でございます。心より厚くお礼申し上げます。
 「身は風雲の過客」と生涯を旅におくった菊舎も齢には勝てず、73歳の年末には
何をして七十三つをくらしぬととへどこゝろにあとかたもなし
と詠んでいます。
 私も2月には満75歳、後期高齢者の仲間入りです。体力は落ちてきましたが、山積みの菊舎資料の中にいると気力が湧いてきます。早く整理をと気は急きますが、着実に一歩一歩、片付けてゆく年にしたいと思っています。
目標を持ちつつも自在に生き抜いた菊舎を先達として、本年も精進してまいります。
相変わらずのお付き合い、どうぞ、よろしくお願いいたします。

  (岡 昌子)   2019年01月01日

頭陀袋 その六十八】

 十二月になって体調がやっと回復してきた私は、長いこと休んでいた顕彰会所蔵の菊舎史料の整理や調査を再開しました。二百数十点の一つ一つを再点検するうちに、新しい発見もありワクワクしています。いずれデーター化したいと思っていますが、今日はそのなかの一つをご紹介いたしましょう。


  懐紙  (縦27㎝×横31㎝)
 我宿の菊にからばや星の杖
     右
      曽祖父仙鶴句
        長生庵宗完 花押

 最初にこの資料を見た時、仙鶴も長生庵も別人を想定していました。本名の記載がほとんどない俳諧史料から、人物の特定をすることはかなりてこずります。今回、改めて調べたところ、筆者の長生庵宗完は、代々表千家の宗匠を勤める茶家の堀内家五代不識斎でした。堀内家は庵号を長生庵といい、初代の仙鶴は俳人としてもたいへん著名でした。この書留は折り目に添って破れていますが、筆跡は宗完本人のものと思われます。 
 菊舎と深い親交があったのは四代宗心で、1790年5月には堀内家に宿泊して、のぶ・ひさ・いさ等の下女とも俳諧を楽しんでいます。また、1794年10月には、菊舎は堀内宗心と中村宗哲を宿に呼び、茶席を設け茶事をともにしています。菊舎の茶は「表千家か裏千家か」と質問をうけ調べていたのですが、当史料により表千家だと確信をもつに至りました。 菊舎の茶事については、さまざまなエピソードが残されていますが、それは、また折々にご紹介しましょう。
 文化8年(1811)、59歳の年の瀬を京で過ごした菊舎より二句をプレゼントし、当代一字庵の頭陀袋も一寸煤払い・・・。皆さん今年もたいへんお世話になり有難うございました。心からお礼申し上げます。よいお年をお迎えください。
      
      松梅院に茶  
   釜の煮や年の音ふる松の雨 
      西徳寺に宿 
   花の根に帰る心や年のよひ

   (岡 昌子)   2018年12月25日

頭陀袋 その六十七】 
 一年前の今日、緊急入院となり関門医療センターでお正月を迎えました。それからいくつかの病院とお医者さんにたいへんお世話になった一年でした。
 さて、昨日17日は、顕彰会の副会長であった古川哲郎氏の百ケ日でした。その前日、田耕俳句会と菊舎研究会の仲間が妙久寺に集い「
哲郎氏を偲ぶ会」をもちました。奥様とご一緒に読経したあと、遺句「青嵐いつしか父と同じ道」の短冊を拝見。御父君は一字庵九世の古川虹雨氏で私の最初の師匠です。ともに歩んだ哲郎氏の在りし日の映写や思い出話に花を咲かせ、改めて彼の優しさにみんなで感謝いたしました。文化を伝えたいという遺志を継ぎ、一同力をあわせて菊舎顕彰と俳句の普及に取り組んで行こうと話し合いました。 
 俳句の月例会は、昼の部(田耕促進センター)・夜の部(妙久寺)と長年続いていますが、菊舎について学ぶ機会が少なく、今回は菊舎検定にもチャレンジし、菊舎作品にも触れてもらいました。本当に実りの多い「
哲郎氏を偲ぶ会」でした。
    (岡 昌子)   2018年12月18日

頭陀袋 その六十六】

山口東京理科大学薬学部の皆さんから、レポートと俳句が寄せられました。
そのレポー トの2回目のご紹介です。

江戸時代に生涯を旅していき続けた女性の存在など全く知らず、ひどく驚いた。旅をし続けられたことは大変すばらしく、相当な覚悟や信念があったのだろうと思われる。旅を通じ、何事にも縛られず生きていく中で素晴らしい俳句を世に残して来たのはたたえようもない行為であろう。このように、田上菊舎の人生や俳句を見てみると私の人生観が大きく揺さぶられ、新たな価値観を見出すことができ、また、山口県には、数々の歴史に名を残すような偉人などが存在していることに気づかされ、山口県についてもっと知りたいと関心を抱くようになった。

先生は、日本語を大切にし、良い言葉を沢山発見し、日本語の美しさを使える大人になって欲しいと仰いました。考えてみると、最近私は、「やばい」という言葉で感情のほとんどを表してしまっている気がします。自分の感情をより繊細に表現することが苦手になってしまっていると感じます。恐らく、現代の人はそういった人が多く、先人たちが作り上げてきた美しい日本語が忘れられようとしていると思います。繊細で優美で柔軟な日本語を使うことで心が豊かになっていくと思います。だからこれからは、自分の心情を、感じた心を、より鮮明に表すように心掛け、多くの美しい言葉に出会い、それを用い、他の人にも広げていけたらいいなと思いました。

田上菊舎という女性の生き方に感動しました。当時の常識に囚われることなく自分の意志で旅に出て各地を巡った菊舎はなんと自立して自由な女性だったのかと感じました。・・・菊舎が生きた時代と今の時代では医療技術に大きな違いがあるとはいえ,やはり医療の第一歩は人の健康を願う思いやりなのだと実感しました。俳句を詠む気持ちと医療に従事する気持ちはどこかでつながっているのかもしれません。今回の講義を受けて田上菊舎という人物に興味が湧いたのでもう少し彼女について調べてみたいと思います。

★ 講義資料の中に田上菊舎行程図があり、その中に私の地元である佐賀県の鹿島市があり、なんだか親近感がわいたと同時に私の地元で詠んだ俳句を調べてみたいと思いました。
質問  菊舎さんの俳句を知るにはどうしたらよいですか?
俳句  自転車で 駆け抜けていく 紅葉道
     生きてるか 母から電話 星月夜
返事  鹿島市は江戸時代には俳諧の盛んな土地でした。
     ですから、菊舎と親交のあった人が多くいます。
     私も調査の為、佐賀大学名誉教授の田中道雄先生にもお世話になっています。

    鹿島で詠んだ菊舎句 1787年(35歳)
    爰に結ぶ因みも出来て庭清水
    ちる時はやさしい物よ雲の峰
    大学の薬学部の図書館に今回寄贈した刊行物をご覧ください。
    また、菊舎顕彰会のホームページで発信していますので見てください。
   (岡 昌子)   2018年11月27日

頭陀袋 その六十五】 

 連休最後の昨夕は、角島帰りのバイクでしょうか、数えきれないほど連なり田耕の里を震わせ駆け抜けて行きました。バイク野郎にとっては絶好の小春日和、信号のほとんどない田舎道は爽快ではあろうと思いますが、老人や子どもが怖がるほどのけたたましい大音響はなんとかならないものでしょうか。

 さて、先月出講した山口東京理科大学薬学部の皆さんから、レポートと俳句が寄せられました。感想にとどまらず質問もあり、一人一人のみなさんに、お返事と句の添削などしてお返しました。そのレポートを抜粋し、数回にわけてご紹介しましょう。

  岡昌子さんの人生を変えたという菊舎に対する思いが伝わってきた。私は菊舎の俳句を聴くのは初めてであり、ましてやその生涯をやであったが、様々な芸に触れ秀で、全行程合わせて二万二千キロの俳諧の旅に出たという行動力と好奇心あふれる格好いい生き方に憧れてしまった。もし現代に生きていたら菊舎はどのような生き方をするのだろうと想像してしまう。当時こんなにアクティブな女性は珍しいのではないだろうか。何よりも遊びを大切にする精神は、どのような職種を進む者でも学ぶべきところがある。また、彼女の俳句は見て聴いて感じたものを、自由にまたユーモアたっぷりに表現しており、読んでいて楽しいと感じた。人は美しいものを見続けていると心が美しくなるというが、彼女はその美しいものを見、また探すのもうまかったのだろうと考えられる。女だからと勝手に行動を制限してしまうこともあるが、菊舎のように学ぶ意欲や探究心を持って人生を拓いていきたい。

  講演を聞く前はどこか他人事であった俳句の世界ですが、岡先生は薬や医学を絡めてお話して下さいました。まだ薬剤師にはなっていませんが、菊舎さんとは不思議な縁を感じるお話しでした。俳句と薬学はほとんど繋がることはありませんが、医学と薬学が菊舎さんの人生を手助けしていたというだけで誇らしい気持ちになりました。・・・歴史上の名医のお話しにも、とても興味を抱きました。私は沖縄県出身なので、全国の名所を色々と巡りながら、その土地の歴史上の名医について知り、関連する場所にも足を運んでいきたいです。菊舎さんの好奇心にとても共感を抱きました。

  先生は「命はどうでもいいものではなく、沢山のものに生かされて私がいる」と仰いました。例えば、薬の実験に使われた動物。彼らがいたから、私たちは薬を飲んで今も健康に生活しています。私はそこまで考えたことはありませんでした。辛いことがあると、投げ出したくなって、生きるのが辛く、私なんていない方がいい。なんて思ってしまうことがあります。しかし、それは無責任な話だと思いました。私の命は本当に沢山のものによって生かされている。だからこそ、自分だけの命と思わずに、沢山のものに感謝して、力強く生きていきたい、そう思いました。

    (岡 昌子)   2018年11月26日
頭陀袋 その六十四】

 鹿の鳴き声を身近にする今日この頃、いかがお過ごしですか。
山に囲まれた田耕(たすき)の朝晩は炬燵が恋しくなり、ついに出しました。この一か月余り、私の頭陀袋は棚上げ状態でしたが、30日(火)には、山陽小野田市の山口東京理科大学に携帯いたします。薬学部の「学術と地域文化」の講義に出講いたします。一般の方も聴講ができますので、お知らせしますね。
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講題  人生は邂逅なり
   ~菊舎に出遇う!俳句に出会う!~
日時 10月30日(火) 10:40~12:10
場所 山陽小野田市大学通1-1-1  ℡0836-88-3500
    山口東京理科大学7号館1階  711教室
講演内容
  江戸時代にとてつもない女性がいた。
 その名は、現 下関市出身の田上菊舎(本名ミチ)。
 松尾芭蕉を慕い俳尼となって諸国をへめぐり、歩いた距離は
 2万2千キロ余に及ぶ。
 旅先では文化を通して自己を磨き、俳句・和歌・漢詩・書画・茶
 ・七絃琴にも精通。
 その行動 は常に前向きで意欲にみち、長崎では中国語まで学んでいる。
 素直な心情と自由闊達な気風も あいまって、交流人物も多彩。
 身分や性差を超えた自由人・菊舎に惹かれ、海外の研究家たちも
 近年、来日。

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先日、森田学長さんにお会いした折、東京から赴任された8年前、竜王山の山頂で見知らぬご夫婦に出会った時のことを話してくださいました。その方は、菊舎の句を書いた満珠・干珠の絵葉書を示しながら「菊舎をご存知ですか」と問われたそうです。この時、初めて学長さんは「菊舎」の名を耳にされたそうです。そして、今年出版された中村佑氏の『枯淡の花』のご縁もあり、お声がかかったのです。まさに「袖振り合うも多生の縁」ですね。
大学での講義は久しぶり、とても楽しみにしています。
 
   (岡 昌子)   2018年10月28日

頭陀袋 その六十三】 

 今日は、とても悲しいお知らせをしなくてはなりません。
9月9日、菊舎顕彰会の副会長 古川哲郎さんがご往生なさいました。
本日11日、葬儀が取り行われ仏前に顕彰会を代表して
弔辞を捧げました。

6月6日、地元高校の俳句相撲の手伝いに共に出向く約束をしていましたが、その日の早朝、緊急入院され胆嚢がんが見つかりました。一時は小康状態もあり何とか容態が落ち着いて欲しいと願っていましたが、ご本人の満70歳の誕生日である9月9日にご逝去なさいました。
ご入院中、何度かお見舞いに伺いましたが、
「菊舎のご縁はありがたかった。いろんな方と出会うことが出来て楽しかったー。それが何にも代えがたくうれしかった。」と仰いました。そして、顕彰活動が滞らないように副会長の代行者もご指名くださいました。
古川副会長さんの優しさと一貫した前向きなお考えに支え続けられた21年間でありました。
衷心より感謝申し上げます。

今月6日最後の見舞いの折、氏自身がマジックペンを取り書いてくださった代表句です。
  
竹伐って昨日の空とちがひけり

辞世
 
千羽鶴カサと音して晩夏かな   残菊は我柩の中に入れ賜へ

「菊舎顕彰の輪がひろまりますように」というご遺志を継いで、これからも活動を続けてまいりますので、皆さま方のお力添えをよろしくお願い申し上げます。
                                 合掌
                   菊舎顕彰会 会長  岡 昌子
 
    (岡 昌子)   2018年9月12日
頭陀袋 その六十二】

 たゞならぬ山つゝ立て秋の雲

今から215年前の寛政5年(1793)、菊舎41歳の妙義山での俳句です。この「たゞならぬは」は、奇岩怪石の山の形に驚いてのものですが、昨日、私は「たゞならぬ」雲に驚かされました。これまでも、空の雲を眺め夏から秋への季節の変わりを感じたものですが、昨日の雲は、生まれてはじめて見た異様なものでした。巻雲をはじめ、伸ばし飴のように板状に張り付いた形の雲など、様々な雲が天体ショウーのように現れました。
 昨日はエコーのため、朝食抜きで1時間運転して内科へ、そこから、また運転して眼科へ。午後は約2時間運転して歯科へと医者めぐりをしてほとほと疲れましたが、そのおかげで、「たゞならぬ」雲を見させてもらいました。

 さて、菊舎顕彰俳句大会の投句の〆きりが9月5日(児童生徒の部は20日)と迫ってきました。知事賞をはじめ市長杯賞・市長賞、教育長賞・地元振興協議会・観光協会や道の駅など各賞があり、好評の地元名産がもらえる賞もあります。なかでも、ホテル西長門リゾートのペア宿泊券が出る「ホテル西長門リゾート」賞は、出席者の注目の的となっています。
 初めての方も、ぜひご投句いただき、ご参加くだるとうれしいのですが・・・。
 投句用紙は、当ホームページから印刷されるか、別紙に菊一句・雑一句と
〒・住所・氏名・電話番号・出欠・弁当(550円)申込みの有無を書き、一組1000円添えて、下記 あてにお送りください。皆さんのご応募をお待ちしています。
   
  759-5512  下関市豊北町田耕4454   菊舎顕彰会
 
       問い合わせ  電話・フックス 083-783-0055
   (岡 昌子)   2018年8月29日

頭陀袋 その六十一】 

  秋来ぬと目にはさやかに見えねども
               風の音にぞおどろかれぬる


 『古今和歌集』のこの歌が、やっと思い出されたここ数日の天候です。
「新涼」や「涼新た」の季語を使っての俳句が、本日の句会でも登場しました。待ちに待った秋の気配にほっと一息を入れ、久しぶりにこの頭陀袋の筆を取り出した次第です。例年は網戸の窓を少し開ければ眠れていた田舎ですが、今年の夏は一晩とてクーラーなしでは過ごせませんでした。
 さて、少し涼しくなってきた昨日、地元の異文化交流の集いに参加しました。西野旅峰氏の「
旅という火と旅からの風 ―自転車地球散歩よりー 夢と世界と僕らの話」の基調講演を拝聴。自転車にテントを積み、世界を巡るひとり旅を続ける西野氏のお話はとても興味深く、その心構えや謙虚な姿勢、他者に対する思いやりなどことごとく感銘を受けました。
 現代の旅人・西野氏の冒険や夢や人生観など聞きながら、私は江戸期の旅人・田上菊舎と相通じる世界を感じました。鎖国の時代に長崎で異国の人と親しく交流し、異文化を吸収していった菊舎という人物は、異文化交流の先駆的存在だったといえるのではないでしょうか。
 国や人種や言語が違っても、人と人とは仲よく抱き合うことが出来ます。今年は5月に、南カリフォルニア大学のレベッ女史と、7月にはエモリー大学のクラウリー女史と再会。それから、昨日は、チュニジアのベスマさんと一年ぶりの嬉しい再会を果たした私。すべて菊舎を介しての尊い出合いです。
 人は、大いなるものに出会うとき、ちっぽけな自分を発見します。夜空の美しい星座をながめ、果てしない宇宙とさまざまな恩恵に感謝して・・・
今晩はここらでおやすみなさい。
    (岡 昌子)   2018年8月20日
頭陀袋 その六十】

 夕立の恋しい菊舎生誕地です。当コーナーの頭陀袋51・52に掲載の「枯淡の花」が自費出版されました。各新聞社が記事にして紹介、大きな反響を呼んでいます。著者の中村佑氏の手元にも残部が無くなりましたので、菊舎顕彰会のホームページに連載中の「枯淡の花」をお読みいただきたくどんどん更新していきます。こちらでご愛読ください。

いよいよ今日から学校は夏休みとなり、3人の小学生がいる我が家も一気に賑やかになりそう・・・。午後から明日にかけて、田耕子ども会のお泊り会を引き受けています。
菊舎句碑「故郷や名も思ひ出す草の花」のある田耕小学校は、3年前に統合され、全員が通学バスで滝部小学校に登下校しています。統合に当たって、俳句の盛んな田耕小学校の伝統を、ぜひとも滝部小学校に引き継いでもらいたいという先生方の強い願いがありました。現在、その志をしっかりと受け継いで、校長先生をはじめ全校あげて俳句教育に取り組んでおられます。
7月11日には、全校生を低学年・中学年・高学年に分け俳句の出前授業をいたしました。
初めての試みでしたが、夏井いつき氏提案の「俳句の種」発見のための手がかりとして、季語以外の五音・七音を紙に書き、それを組み合わせて季語をつけ俳句にするやり方をしてみました。それぞれの子どもたちが持ち寄ったとりどりの発想の種を、みんなで一句に仕立ててゆき発表しました。みんなのいきいきとした姿と、「おもしろかったー」の声に、私もよい刺激を受けました。誰もが気軽にできる全員参加型のこの楽しみ方を経て、ひとりひとりが俳句に親しんでくれたら嬉しい事です。いつき組の組(?)員であるk氏が勧めてくださった三省堂『俳句の授業ができる本』は、教育現場の先生方にもきっと良いヒントになるでしょう。
   (岡 昌子)   2018年7月21日

頭陀袋 その五十九】 

 天地の逆鱗に触れたような昨今の気象、一体どうなっているのでしょうか。被害に遭われました方には心からお見舞い申し上げます。それにまた追い討ちをかけるようなこの極暑。
後片付けもままならない現況でさぞかしおつらいことと推察しています。

 新幹線や在来線が不通のため、7月8日9日の菊舎ゆかりの地めぐり研修は、船橋と高知の方2名がキャンセルとなり、残りの36名で予定の田耕・萩を無事巡ってまいりました。 菊舎顕彰会の旅の恒例は、先ず、皆さんに「お小遣いよ」と封筒を渡します。初参加の方は「小遣いがもらえるの」と目を白黒させ、馴染みの方は「はい、十万円ね」と受け取ります。「銀行では使えない、吟行用のお札です。ためておいても利子は付きませんよ~」と投句用小短冊10枚を配ります。なかには、何年も拍手要員に徹している方もあり、それはそれで自由。車中の投句箱に小短冊が次々と入れられ、吟行句が披講されます。これを聞くのが楽しみという人もいます。
 今回、初参加で俳句は難しいという三人の方と同室。
「今日渡した小遣いは持って帰っても両替できないので今から使いましょう。さぁ出して」「見たもの、感じたことを五音に、七音にと短冊に書いてみましょう」
と誘いました。すると、「頭がつかれた」と逃げる人に「つかれた頭。それは七音よ。短冊に書いて!」そんな風にみんながバラバラに書いた五音・七音の短冊を寄せ出来た俳句が10句。感想は「俳句って楽しい―。やってみよう~」でした。みなさんも五・七・五音をバイキングして俳句をどうぞ!


 梅雨の雲 飛んでいく ねむの花 雲垂れる 白波や 
 泳げるか  七夕や 双子島  暴れ梅雨  天ケ瀬の
 雲の峰 ふとっぱら 昼顔や ひとやすみ 梅雨空に 
 まむかいに 窓越しに 松落葉 浜木綿の 糸の雨

 つかれた頭 されど心は 横長ホテル 叫びたくなる
 潮の目たかし 無邪気な菊舎 ゆくてたのしみ くもる島影
 寄せる白波  句に魅せられて

 
 (一例) 天ケ瀬の潮の目たかし泳げるか
    (岡 昌子)   2018年7月16日
頭陀袋 その五十八】

 梅雨に入りましたが、皆さんお元気でしょうか。来月8・9日に予定している会員研修「菊舎ゆかりの地めぐり」の下見に、3日の日曜日に副会長と研修部役員とで萩に行ってきました。毎回、トイレの中まで点検するという念入りな下見ですが、行ってみなければ分らない事が多々あります。平成12年秋の研修地の萩ですが、当時の参加者37名の内、14名が物故者となられ、18年という年月の流れをまざまざと見せつけられました。行程などは行事予定でご覧ください。
 先日の6日(水)は、滝部にある下関北高校3年生の「現代文講続」及び「評論探究」の受講生31名が詠んだ俳句をもとに、「俳句相撲」をしてきました。当日、俳句仲間4人と武道場に入ると、3局のテレビが待ち構えていてちょっと驚き・・・。どうにか、時間内にすべての取組を終え、無事、横綱誕生。みんなが東西の団扇を挙げ、頂点に立った俳句が「片思いラムネの玉でせきとめて」。終了後、インタビューを受ける作者のすがすがしい笑顔と話に、視聴者も好感情を抱かれたことでしょう。彼は、長門市立菱海中学校出身とか。みすゞの地元長門市も俳句の盛んな土地ですから、小学生のころから俳句に親しんでいるのでしょう。江戸時代から、長門地方は美濃派の俳諧が隅々まで浸透していて、その風土のなかに、田上菊舎や金子みすゞが誕生したのです。これらの伝統が代々の人々に受け継がれ、文化的な土壌を育んでいることに思いをめぐらしました。
 地元の北高校や豊北中や滝部小の先生方も、夜の俳句会の仲間入りをされていますので、これから、学校現場での俳句指導にも活かされ、詩情豊かな生徒が増えて行くことを、とても期待しています。菊舎顕彰会としても、しっかりバックアップしてまいります。
   (岡 昌子)   2018年6月09日

頭陀袋 その五十七】 

 女芭蕉」の異名をもつ田上菊舎も、その実像を知る人はまだまだ少ないように感じられます。そこで、もっと多くの方に菊舎に関心を持っていただきたいと楽しくチャレンジできる「菊舎検定」を思い立ちました。
 元田耕小学校の校長で、現在は俳句会の仲間でもあるT氏と試行錯誤しながら、初級・中級・上級用の11通りの問題を作成しました。果たして、受験してくださる方があるかと内心ビクビクしながら5月11日を迎えました。
 初日は4名、全員初級合格(内2名は中級も)され、ごほうびの菊舎の俳句しおり(春・夏・秋・冬・新年句の5枚に小山禎子氏挿絵)を獲得。久しぶりに試験をうけ緊張したと言いながらもうれしそうな皆さんの表情を見てこちらも一安心しました。
 3日間の総計は、受験者数、のべ40名。初級22名(合格18名)・中級10名(合格7名)・上級8名(合格5名)と初めての試みでしたが、上々の手ごたえでした。30名の方に認定証をお渡ししましたが、これから益々菊舎に興味をもち、顕彰活動に役立てていただきたいと念願しています。
 2003年にYAB山口朝日放送と菊舎生誕250年記念「
旅する女流文人田上菊舎展」を共催しましたが、その際製作された番組でご一緒した作家の立松和平氏は、私にきっぱりと「菊舎のことを女芭蕉と言う必要はない」と言われた言葉が、亡くなって8年経た今も心に残っています。つまり、「菊舎は菊舎」で、芭蕉と比較できないほどスケールが大きく、特異な存在であるということを暗に仰せられたのだと解釈しています。
それだけに菊舎に関する検定問題は、数限りなくできますので、事有るごとに皆さんにチャレンジしていただけるよう用意してお待ちしています。
    (岡 昌子)   2018年5月27日
頭陀袋 その五十六】

やまぎん史料館で開催した「もっと知りたい菊舎の世界―作品に見る菊舎の心―」展は予想をはるかに上回る入場者で、レジメを追加印刷いたしました。お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。
 12日土曜日の午後は、芳田副市長・児玉教育長・光田滝部小校長・田耕地区振興協議会長・自治会会長会を来賓にお迎えし、菊舎顕彰会の総会を開きました。そのあとの講演は、一般の聴講者を加え、会議室は超満員となりました。上野さち子先生、内山貞子先生の余沢のお蔭でありましょう。
 今回の企画展でも、数々の出合がありました。菊舎直筆の軸や額をわざわざお持ちくださった方、菊舎研究の参考資料として大いに役立ちました。展示会をする度に、埋もれている作品に出合える歓びは最高です。
 また、いろいろなお方との出逢いは譬えようもなく嬉しく心が弾みました。
先ずは、アメリカから来日された日本史研究家レベッカ・コールベット先生との再会。
次に、中国からの留学生である岡山大学の李夢幻さんとの初対面。日本人ではないお二人が、共に江戸期の田上菊舎に魅せられて、それを研究テーマとしていらっしゃることに感動を覚えました。2日間にわたり、熱心に学ばれ菊舎検定にも挑戦。初級・中級問題を好成績でクリアーされました。
 最終日のレベッカ氏と吉村氏の対談終了時には、ひまわりの花をお二人にプレゼントされるという心遣いに、一同感激・・・。熱く語り合った2日間、菊舎研究家としての今後が期待される嬉しいめぐり逢いでした。当ホームページに英文コーナーもまもなく開設予定です。お楽しみに。
次回は、初めて試みた菊舎検定についてお話ししましょう。
   (岡 昌子)   2018年5月17日

頭陀袋 その五十五】 

 今日から企画展「もっと知りたい菊舎の世界―作品に見る菊舎の心―」が、下関市観音崎町のやまぎん史料館(℡083-232-0800)ではじまりました。平日の初日ということで、来場者が少ないのではと心配していましたが、俳句好きの外人さんお二人をはじめ、沢山の方々にお越しいただきました。決められた時間以外でも、展示説明をしながらいろいろな会話もして、それは楽しい初日でした。
 午後の菊舎検定では、4人の方が初級クラスの問題に挑み、めでたく全員及第。認定書と菊舎しおりを受け取られ、会場は大いに盛り上がりました。参加者の反応が上々だったので、問題作成者の一人としても大満足でした。明日は中級問題にチャレンジされるとか・・・。
今晩は菊舎について、ちょっと調べておこうかな・・・そんなお方があるかもしれません。
 
 明日12日の午後1時半から、菊舎顕彰会の総会。終了後2時から「
菊舎研究の先達・上野さち子先生(山口市)と内山貞子先生(豊北町)の想い出」と題して講演をいたします。どなたでも聴講できますので三階会議室にお越しくださいませ。
検定は、講演終了後の午後3時を予定していますが、午前でも希望があればお声をおかけください。明日、明後日と南カリフォルニア大学のレベッカ・コールベット先生が来場されます。
13日は、午前10時30分展示説明、11時からレベッカ先生と吉村ひとみ氏が「お茶の楽しみ」と題して対談。11時40分から検定を予定しています。午後1時半からは呈茶と検定があります。「3日間、毎日来ますよ」とお声をかけてくださる方もあり、ありがたいことでした。お誘い合わせてのご来場お待ちしています。

    (岡 昌子)   2018年5月11日
頭陀袋 その五十四】

 5月11日(金)~13日(日)の企画展の期間中、初公開の展示品や講演会、
呈茶などもありますが、菊舎顕彰会初の試みとして、
菊舎検定を行います。 例えば

  初級  ○×で
    第一問 菊舎は、今の下関市長府で生まれた。  (  )

  中級  三択問題
    第二問 菊舎の庵号・一字庵は田耕で継承されているが、今は何世か?
        8世   11世   13世

  上級  記入式
    第一問 「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」を詠んだお寺の名前は?
          (       )


☆受験されるとプレゼントがあります。
 参加者全員 ― 菊舎絵はがき
 初級認定者 ― 菊舎俳句しおり5枚セット(挿絵 小山禎子氏)
 中級認定者 ― 照明付ボールペン、または、「山門を」句染め手ぬぐい
 上級認定者 ― お楽しみ賞品

☆ 3日間の開始時間
11日(金)―14:00   12日(土)― 15:30  13日(日)―11:40
☆ 所要時間10分
☆ 場所3階会議室

以上、「参加することに意義あり」脳トレと思って受けていただくと嬉しいです。

   (岡 昌子)   2018年5月2日

頭陀袋 その五十三】 

山門を出れば日本ぞ茶摘うた
日本の「お茶だ~いすき」のレベッカ・コールベットさんが、カリフォルニアから来日されます。只今、発売中の小学館発行の婦人雑誌『プレシャス』5月号37頁に紹介されている「菊舎だ~いすき」の日本史研究家です。昨年の「頭陀袋38」にもレベッカさんのことは掲載しましたが、下関市のやまぎん史料館(℡ 083-232-0800)を会場に、5月11日(金)~13日(日)に開催する企画展「もっと知りたい菊舎の世界」に再び来関。対談などを予定しています。着物も素敵に着こなし、日本語がとても上手で気さくなお方です。というのも、高校(オーストラリア)の旅行で日本を訪れ、卒業後は1年間青森の禅寺にホームスティ留学をされています。そこで茶道に出合い、帰国後も裏千家の茶道を続け、大学では日本語と日本史を勉強。2013年アメリカのスタンフォード大学の研究員となり渡米。現在は、南カリフォルニア大学で「田上菊舎の生き方」を研究テーマとされています。江戸時代に茶の湯をたしなんだ女性を調査中、田上菊舎に興味をもたれたようです。レベッカさんの今の目標は、田上菊舎をアメリカ人にも紹介したいということとか。みなさん、会場にお越しいただきレベッカ先生とざっくばらんにお話なさってはいかがでしょう。
    (岡 昌子)   2018年4月25日
頭陀袋 その五十二】

 これまでの研究では、菊舎が歩いた道程は二千里(八千キロメートル)と言われていました。でもそれでは少なすぎるのではないかという疑問が私にはあり、詳細を調査したいと菊舎研究会で行程検証を始めた時期でした。私が長年かけて集めた菊舎資料から洗い出した行程表を中村さんに渡し、出来るだけ昔の道を通って距離を測ってほしいという無理難題の作業をお願いしたのです。地名も道路も菊舎が立ち寄った場所も、当時とは相当変わっている現在、たいへんなご苦労をおかけしました。そこで七年間に及ぶ検証の結果、判明した距離はなんと二万二千キロメートル余。後世に残る重要な菊舎研究資料となりました。宿が見つからず自動車の中で夜を明かされたこともあったようで、今更ながら申し訳なく思っています。
 以来、そんな人使いの荒い会長の私の願いをずっと受け止め、何事も完璧に実行して下さる誠に有難く心強い存在です。写真、絵画、大工仕事はもちろん、何でも出来る中村さんのお力添えを頂いて、菊舎顕彰会の活動も大きく広がっています。
 中村氏の菊舎に対するまなざしは、熱く、優しく、そして時に激しく・・。この書『枯淡の花』は氏の菊舎観が集約されたものです。菊舎をベースとしながらの物語ですが、次へ次へと読みたくなる筋書きは、まるで映画の脚本のようでとても感動いたしました。
多くの皆さんに、ぜひ、ご愛読いただきたい新コーナーです。お楽しみに!


   (岡 昌子)   2018年4月14日

頭陀袋 その五十一】 

 中村佑氏の「よそ見わき見気まま旅」が3月で終りました。当ホームページに2013年 9月から連載が始まってから50回。先ずは中村さんに深甚なる謝意を表します。
写真も文もたいへん素晴らしく原稿が届けられる度に、真先に私が魅了されていました。顕彰会としては、近い将来「菊舎が見た風景」的なガイドブックとして刊行できたらいいなと思っています。
 ところで、菊舎のウェブ-サイトより中村佑氏のコーナーが消えることは、一ファンの私としてもとても残念で、中村さんがある会員誌に掲載されていた「菊舎物語―枯淡の花―」をホームページに載せていただくよう要請し快諾を得ました。ぜひ、お楽しみください。
  そこで2回に分けて、著者の中村さんのご紹介を簡単にいたします。私が中村佑氏に初めて出会ったのは、十年前のことです。「唐戸のお店で奥の細道の写真展があり話も聞けますよ」と仲間から誘いを受け、古川副会長と、会場に勇んで出かけました。展示されている写真の見事さに目を奪われたのは勿論、氏のお話にも引き込まれ、初対面であることも忘れ「会長直属の菊舎研究チームに加わり、力を貸してください」と、強引にスカウトして顕彰会にも入会してもらいました。というのも、『菊舎研究ノート』の菊舎行程検証の連載記事に、「奥の細道」を取り上げる予定にしていたので、まさに藁にもすがる思いで一本釣りした大物 (失礼) でした。それから、中村さんの必至の菊舎追っかけ旅が始まったというわけです。  続きは次回へ
    (岡 昌子)   2018年4月6日
頭陀袋 その五十】

 見たかった慾に鶯逃しけり
 江戸後期の公卿や俳人の色紙・短冊180枚が収められている「俳諧発句手鑑
が、昨年、菊舎顕彰会に寄贈されました。これは、菊舎研究の第一人者であった山口県立大学名誉教授の故・上野さち子先生の旧蔵されていたものです。とても貴重なものです。
冒頭句はその中の一句です。
 今朝、私の部屋の窓のそばで鶯が一声鳴きました。厳しい冬だっただけに、近くで聞いた「ホーホケキョ」に心が弾みました。
 私は、思いがけず2月にも入院しましたが、それほど痛みもなく、病院の個室にパソコンを持ち込み、「くずし字辞典」片手に「俳諧発句手鑑」の解読をしていました。
古文書解読の力不足を嘆きつつも、江戸時代の作品の一つ一つに合点したり、共鳴したりして、それなりに楽しい充実した時間でした。
 
 この「俳諧発句手鑑」をはじめ、今日まで顕彰会に寄贈されたものを一堂に展示して、たくさんの方にご紹介すべく、5月11・12・13日の三日間、下関市観音崎のやまぎん史料館で企画展「もっと知りたい菊舎の世界」を開催します。
期間中にははじめての試みとして「菊舎検定」を行います。クイズのように楽しみながら解ける問題で、認定証や会オリジナルの参加賞も用意しています。所要時間は10分間。先ずは簡単な初級からチャレンジしてみてください。
また、アメリカ 南カリフォルニア大学のレベッカ女史も来日され、「お茶の楽しみ」と題した対談も予定しています。先生は日本にも留学されていて、菊舎やお茶に造詣の深いお方です。昨年、来日された折には、着物に53次の描かれた帯姿で茶事をなさいました。
日本の雑誌などにも論文や記事が掲載されている研究家です。どうぞ、ご期待ください。
その他の内容は、追々お知らせしますね。今日はこの辺で・・・。

   (岡 昌子)   2018年3月19日

頭陀袋 その四十九】 

  交りを洩れて行身の寒哉   菊舎

 どっかと居座った冬将軍に外出もままならず、風邪も流行っている今日この頃、みなさん、お元気ですか。実は私、お正月は病院のベッドで迎えました。昨年の行事をすべて終えた12月中旬、以前から気になっていた内視鏡の検査を受けたところ、
    検査即入院癌と冬籠
となりました。それこそ、頭陀袋のようなバッグ一つで家を出て、着いた先は、関門海峡そばの病院でした。
押し詰まった暮れの25日に手術。
    クリスマスS状結腸癌灯す
35年前に亡くなった実母と同じ病気ですが、医学の進歩はすばらしい。
    待望の立派なおなら年明くる
おならが俳句の題材になるとは、自ら驚きでしたが、すべてに感謝です。
 海峡を行きかう船、瀬戸の早瀬、対岸門司の夜景など、術後の痛みを、絶景と俳句が癒してくれた入院生活でした。たくさんの恩恵を身にうけ、1月4日に退院し、お蔭さまで順調に回復しています。
 
 NHKテレビ「必見!人体は巨大なネットワーク」という番組を、入院中から興味深く見ています。私のいのちを支えるために、何十兆の細胞や十万キロもの血管、その他、私の存知に関わらず、休みなく働いていることに驚愕。改めて生かされていることの重みを実感しています。そんな中で迎えた昨日2日は、私の74歳の誕生日で菊舎の齢(数え年)と並びました。明日4日は、顕彰会の研究会と役員会を開催し、立春とともに、私たちも活動を開始します。
    (岡 昌子)   2018年2月3日
頭陀袋 その四十八】
 平成30年の新春をお迎えになられましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 頭陀袋を身にして諸国行脚に明け暮れた菊舎も、65歳から長府で正月を迎えています。
 文化14年(1817)、親戚の子ども(五歳から九歳)宛に、次のような新年茶会の案内状を出しています。 
  回文(まわしぶみ)
明後五日石炉開きながら麁(そ)茶まいらせ度申上候
御揃被成る無御障御入らせ待入申候
めで度かしく
   初春三日
  各様    一字庵
御筆 破弓 羽子 手まり 御携へ可被成候
中立間の御気ばらしにて御座候
 破魔手まりふく引寄ん遊び初

子ども大好き、お茶大好き、遊び大好き、旅も諸芸も大好きな「雲遊の尼菊舎」。
その自在な遊び心をお裾分けしてもらい、頭陀袋とともに、私もまた旅に出たい
と思っています。おつきあいくださいませ。
   (岡 昌子)   2018年1月1日

頭陀袋 その四十七】 

 今年も菊舎さんのご縁でたくさんのお方に巡り合うことができ、しあわせな一年でありました。
そんな中でも、跳び上がるほど嬉しかったことは、田上菊舎の系譜に関わる人物の出現でした。
 10月初旬のある日、菊舎尼の墓所・長府の徳応寺さまから一本の電話が入りました。
菊舎末裔の田上さんが、いま、お参りにきていらっしゃいますよ。」との知らせ。それこそ、私が長いあいだ探し求めていた田上吉次さんの御子孫でした。
 菊舎の系譜は父・由永が家督を息子の多門次に譲り、隠居を試みたのですが、藩主の信望があつく、医師として再び致仕し本荘了左と姓名を変えたため、田上家、本荘家の二つの系譜に分かれてしまったのです。菊舎も本来なら、本荘菊舎と改名すべきところですが、既に諸国に名を馳せていたため、田上菊舎を貫きました。
 末裔の本荘さまは、今でも私どもと親しくお付き合いさせていただいていますが、田上家は吉次さんが東京に出られてからこの方、消息が掴めていなかったのです。
 その田上家の菩提寺は長府の浄土宗本覚寺さまで、吉次さまの孫・吉夫さま(上尾市在)が父君の御法事のあと、徳応寺さまのお墓にもお参りになられことによりひもとかれたのです。なんと有難いご縁でしょうか。吉夫さまは祖父吉次さま以前の系譜が判らないと仰り、早速、菊舎関係図書をお届けしました。その上、うれしいことに10月20日の宇治萬福寺の菊舎句碑の墨直しにも、御親戚のお方が、横浜からお越しくださり、一同感激いたしました。長年調査しても不明であったことが、突然判った時の歓びは、どう表現したらいいのでしょう。
 皆さま、本当にお世話になりました。10回も田上菊舎展をご覧いただいた方もあります。期間中、福島、伊賀上野から二度もお越し下さった方、その外、お一人おひとりとの思い出を宝に、これからも菊舎顕彰の輪がどんどん広がっていきますよう念じて、改めて深くお礼申し上げます。 
                                      合掌
下関歴史博物館「 江戸の女子旅―女流文人田上菊舎」平成29年6月1日~7月30日
    (岡 昌子)   2017年12月22日
頭陀袋 その四十六】
  今日12月5日、下関は初雪でした。こんな時は、
  初雪になるか赤間の灘の音
の菊舎の俳句を思い出します。
享和3年(1803)、菊舎51歳。長府藩主十一代毛利元義公(19歳)から前田別業閑習庵に召され、御用絵師文流斎の画に、菊舎が漢詩発句を即賛し「前田二十勝」の合作をしました。前掲句の赤間は下関の古称ですが、214年前のように、今晩も関門海峡の早瀬に雪が降っていることでしょう。
さて、今年は地元下関市歴史博物館「江戸の女子旅―女流文人田上菊舎」と宇治萬福寺の「田上菊舎展」と、伊丹市柿衞文庫「俳諧と茶の湯展」においての菊舎の展示などと合わせて数千人の皆さまに、ご観覧いただいたようであります。
いずれの展覧会も好評であったと聞きました。お足をお運びいただきました皆さま、本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
この展覧会を機に、多くの方に菊舎尼のことを知っていただけたことは、何よりうれしい事でした。
他にも有難い出会いをたくさん頂戴しました。この話は、次回にしましょう。

   (岡 昌子)   2017年12月5日

頭陀袋 その四十五】 

 10月18日から開催しています宇治萬福寺の「田上菊舎展」の会期も、残すところ10日ばかりとなりました。

今月14日の講演会「身は風雲の過客・菊舎」には、またまた、遠近各地からたくさんの方にお越しいただき、誠にありがとうございました。展示説明も講演も、たいへん熱心にお聴きくださり、お礼申し上げます。はじめてお合いしたお方とも旧知のなかのように、何かしら親しみを覚えました。
今回も菊舎尼がこよなく愛した古琴を、大阪七絃琴教室の代表・荘 長華氏が、こころをこめて弾奏してくださいました。

 この度の展覧会は、生誕地から遠く離れた京都府での開催でしたので、菊舎という人物を初めて知ったというお方も多く、意義深い企画でした。
 江戸時代の封建社会の数々の規制を越え、生涯の大半を旅に遊び、天地を
自在に生き抜いた「人間菊舎」のスケールの大きさに驚かれた方も多かったようです。
15日付け「京都新聞」の朝刊が、本展覧会を「田上菊舎 遊びの心学んで」と
大きく掲載・紹介してくださったことは、ありがたかったです。
皆さま、ぜひともご高覧くださいませ。

    萬福寺文華殿 0774-33-1199  菊舎顕彰会 0837-83-0055
    (岡 昌子)   2017年11月19日

頭陀袋 その四十四】
 宇治 萬福寺三門前句碑
  宇治市黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)に
山門を出れば日本ぞ茶摘うた 菊舎」
の句碑があります。
これは、菊舎38歳の寛政2年(1790)3月25日に、初めて萬福寺を訪れて詠んだものです。
 大正11年(1922)10月に、三門前にこの句碑が建立されました。
庭師植治8代小川白楊寄贈の鞍馬石に刻まれたこの俳句は、それまで芭蕉作かと云われていたこともあったようですが、すでに、明治の文豪たちは、知っていたようで作品に紹介していました。
 今回、文華殿の秋季特別展の「田上菊舎展」に併せて、菊舎顕彰会有志たちと、ミニ研修を行いました。
 19日は、伊丹市柿衞文庫「俳諧と茶の湯展

 20日は、宇治萬福寺の「田上菊舎展」の観覧をしました。


それぞれ見ごたえのある展示で、参加者一同感激。
展示説明の後は、七絃琴を荘長華氏が弾いてくださり、古琴の音が身に入みました。


その後、句碑の前に各地から駆けつけてくださった会員さんも集合し墨直しの筆を入れました。



菊舎生誕の下関市からの参加者は8名なのに、福島、横浜、平塚、鎌倉、伊賀上野、和歌山、大阪、四国からの方が寄り、総勢30名。楽しくも嬉しいひとときを共に過ごしました。
菊舎ゆかりの三室戸寺、日野誕生院、御香宮神社などにもタクシー・電車・バスを乗継ぎ尋ね、たいへん有意義な研修を終えることができました。参加者の皆さん本当にありがとうございました。
11月30日まで開催していますので、ぜひ、「田上菊舎展」をご観覧くださるようお願いいたします。
   (岡 昌子)   2017年10月24日

頭陀袋 その四十三】 

ぬしもしらでかり寝に夜寒凌ぎけり  
信濃 41歳

朝晩の寒さに冷え性の私は、はや重ね着状態に入りました。
それにつけても、「身は風雲の過客」の菊舎の旅寝が偲ばれます。
さて、いよいよ10月18日(水)から宇治市黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)
第二文華殿で 「田上菊舎展~その雲遊の旅~」が、はじまります。
期間中の 10月20日(金)
        10時30分~展示説明、
        11時~    七絃琴「南薫操」弾奏  奏者 荘 長華氏
        11時20分~ 菊舎句碑「山門を・・・」 墨直し
をいたします。各地から菊舎顕彰会会員も参加してくださいますが、一般のお方もどうぞお越しくださいませ。当日は、荘 長華氏による「南薫操」の弾奏もあります。
これは205年前、菊舎が法隆寺の太子の尊像の前で弾いた曲です。
その時使用した七絃琴は、名琴の誉れ高い「開元琴」で、現在では国宝となっています。
本年10月31日~12月24日まで、東京国立博物館の法隆寺宝物館に展示されるようです。機会があれば、こちらも御覧いただければとお知らせいたします。

 今回、荘氏に弾いていただきます「南薫操」は、現代、日本ではあまり弾かれないようですが、七絃琴を愛し続けた菊舎を偲び、特別にお願いをしました。
 「田上菊舎展」の会期は、11月30日まで(火曜日休館)です。ただし、11月14日(火)午後1時30分から、私の展示説明と講演「身は風雲の過客 菊舎」、荘 長華氏の弾奏があります。こちらの方は、予約が必要ですので、萬福寺か顕彰会にご連絡ください。
 秋の旅のご計画に、宇治萬福寺の「田上菊舎展」をお考えいただければ幸いです。
    萬福寺文華殿 0774-33-1199  菊舎顕彰会 0837-83-0055
開元琴
    (岡 昌子)   2017年10月1日

頭陀袋 その四十二】

 突出しに贔屓(ひいき)の多き相撲哉
                     菊舎

 長府庭園
  江戸の当時から、相撲は大人気であったようで、なかでも正面からぶつかり合う突出しは、手に汗握るおもしろさだったに違いありません。その相撲の楽しさを、俳句で再現したらどうなるかと、十数年前から工夫に工夫を重ね、本場所さながらの俳句相撲を観戦いただくようになってまいりました。
 教育現場での出前に加え、一昨年から一般人も対象に、各地で巡業をはじめ、今年は先日の8月20日、150名の来場者を長府庭園書院に迎え、横綱をめざして十六チームが熱い戦いを繰り広げました。

 その結果は取組表をご覧ください。四股名(二人一組)で記載しています。

内容は、一回戦は、「」の句。二回戦は「」の応募句で勝負をして、
    (二回戦までの句は→PDF
三回戦からは「」を入れた句を即吟(4チーム8名)してもらいました。その結果、優勝戦に残った関取は
 瀬戸の海  雲の峰水尾長々と関の海
 華山      初秋や赤間ケ関の雅の集ひ
勝ち続けて、横綱になったのは「瀬戸の海」。

参加賞をはじめ、取組ごとに各社提供の景品を積み上げ、終にホテル西長門リゾートのペア宿泊券とラジオの横綱賞を獲得されたチームは、國田邦子氏・石田満恵氏。準優勝チームは長岡芳玲氏・原田美佐子氏でした。

このほかにも、当日句「花野」で選者賞を獲得した句
  お互ひに老には触れず花野道
  雲もえて花野の果ての落暉かな
  車椅子花野の海を漕いでをり
一字庵賞は、当日行司役の内田恒生氏でした。
  月山に雨走りくる花野かな
全投句から最優秀に輝いたのは野田智寿子氏でした。
  新涼をゆるやかに押す太極拳
皆さん、おめでとうございました。これからも、俳句の楽しい輪が、どんどん広がっていくことを期待しています。

 また、当日賛助出演の下関朗吟会32名の皆さんの菊舎吟、「とてもすばらしくて感動した」との感想が寄せられています。ありがとうございました。

 相撲大会の開催にあたり、ご支援いただきました関係各位に、改めて心より厚く御礼申し上げます。
   (岡 昌子)   2017年8月27日

頭陀袋 その四十一】 
飛ぶ鳥の翅かり度あつさかな  『文化五年漢詩発句集』

なんと暑いことでしょう。ご体調はいかがですか。お見舞い申し上げます。
菊舎在世の江戸時代は、現代より数度低い気温だったと思われますが、
それにしてもエアコンもなく、冒頭句の菊舎の気持ちわかります。
 さて、下関市立歴史博物館の企画展「女流文人田上菊舎―江戸の女子旅―」は、七月末をもって終了しました。晩年を過ごした長府の地での開催は、12年ぶりでした。
幅広い文雅活動と快活洒脱な菊舎の生き方の一端を味わってくださったことでしょう。
 今年は、このほかにも
伊丹市柿衞文庫
  「俳諧と茶の湯」展
        9月9日(土)~10月22日(日)
宇治市萬福寺 文華殿 
  「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」田上菊舎展―その雲遊の旅―  
         10月18日(水)~11月30日(木)
で、菊舎作品の展覧会が行われます。
 これらの企画展のなかで、私が最も力を注いでいるのが、菊舎顕彰会共催の黄檗山萬福寺での菊舎展です。萬福寺所蔵の数点を除き、すべての資料作品は、こちらから発送いたします。
 封建社会の数々の規制を越え、生涯を「山水の過客」として自在に生き抜いた「人間菊舎」のスケールの大きさと、しなやかな生き方のわかる展示をと、鉢巻をしめ奮戦しています。
 また、萬福寺三門前の菊舎句碑「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」建立に際しての初公開資料や、生誕地に大切に守り継がれてきた作品の数々をご紹介します。
皆さまの秋のご旅行の計画のなかに、二つの展覧会を入れていただくと嬉しいですね。
関連行事のご案内は、次回にお知らせします。くれぐれもご自愛のほど・・・。
 
    (岡 昌子)   2017年7月31日

頭陀袋 その四十】
 
 けふは今日に咲て芽出たし花槿  『手折菊』

 庭に花槿が咲きはじめました。この一枝を花瓶に差し先日、NHK山口放送局の「山口ことばの物語」の撮影に応じました。
番組内容は、菊舎の俳句(ことば)にどんな感銘をだき、その人の人生にどんな影響をあたえているかを伝えるというものです。
私のほか会員3名も取材を受けましたが、数多くある菊舎の俳句の中からそれぞれ一句を選び紹介しました。
そこで、私が紹介したのが冒頭句です。菊舎はこの句の前書に
  昨日は過、明日は期しがたし
と記しています。
 木槿は、朝開いて夕べには散る一日花です。過去を追うこともなく明日を思い悩むこともなく、水の流れのように、雲の流れのように飄々と生き抜いた菊舎ならではの一句だと思います。悲しみも苦しみも乗り越えて、今日ただ今の命をありがたくいただき存分に輝かせていく、そんな人生を送りたいものとこの句を口ずさんでいます。

放送は、7月10日(月) 18時10分~19時までの情報維新!やまぐち内で予定されています。どうぞ、ご覧ください。
 
   (岡 昌子)   2017年6月30日

頭陀袋 その三十九】 
   月を笠に着て遊ばゝや旅のそら
この一句が、菊舎に関心をもつきっかけだとおっしゃる方がかなりあります。
俳句はわずか十七音ですが、この内にこめられた心情や自然や宇宙感は、広くて深いものです。それらの一瞬を詩的に捉え、針の穴に糸を通すがごとく、一句を詠む醍醐味は、短詩ならではのものと云えましょう。

 6月7日、地元の豊北高校三年生を対象に、出前授業に行きました。
昼食後の5.・6時限は、睡魔との戦いてもあり、話でなく、先ずは虫食い問題に挑戦。
原句よりも結構面白い表現に感心したり、笑ったり・・・。次は、生徒らの事前投句をテキストに、俳句のきまりを教えつつ添削しました。そして、6時限の俳句相撲に向けて代表が袋の中に手を入れ紙片を取出し、席題の季語「入梅」と「雲の峰」が決定。

 休憩後、いよいよ、拍子木に合わせ「俳句相撲夏場所」のはじまり、はじまりー。
東西に分かれ相撲をとるのは、内証で詠んだほやほやの自筆俳句。
呼び出され、読上げられて始めて見る一句の新鮮さ、楽しさ。教室にあがる歓声。
全員が持つ東西赤青の団扇の数で勝負。
トーナメントで勝ち上がった最終戦の俳句は、
入梅や長く悲しき片想い」と「入梅や靡かしている乱れ髪」。
果たして横綱句はどちら? ・・・
青春真っ只中の高校生らしい恋の句で勝負。(前句横綱) 拍手!
皆で大いに味わった、作る楽しみ、選ぶ楽しみ、集う楽しみを再確認した一日でした。
    (岡 昌子)   2017年6月09日
頭陀袋 その三十八】
 
 うたひなれしづやかな宇治の田植うた

 この菊舎句は、寛政2年京都東山双林寺で行われた芭蕉百回忌取越法要に参列のため上京した際、宇治を訪れて詠んだものです。いま当地も田植えの真っ最中です。
御存じのように昔から宇治は茶所として有名で、菊舎は茶師竹田紹清や河村宗順とも親交し茶事のもてなしを受けています。また、黄檗山萬福寺に参詣し「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」の一句を授かっています。
 さて、先日の5月18日から22日にかけて、アメリカのUSC(南カリフォルニア大学)からレベッカ先生がお越しになりました。レベッカ先生は、茶の湯を通じて菊舎研究をされている若き博士で、2014年には『日米女性ジャーナル』誌に、「-江戸時代における茶人のアイデンティティの創造―太田垣蓮月と田上菊舎」 という論文を発表されています。
 19日には顕彰会の吉村理事宅の茶室で、菊舎にちなんだ風炉手前の茶事が開かれ、裏千家の作法に添って上客を着物姿(帯は東海道五十三次図)でさらりとつとめられました。翌20日には拙宅にて『空月庵むた袋』などの茶事に関する軸や資料をご覧にいれながら菊舎談義に花を咲かせました。
というのも、彼女の堪能な日本語のお蔭です・・・。
 午後は下関市立歴史博物館にご案内、菊舎自愛の茶道具や『空月庵むた袋』の原本を目近に見せていただきました。その興奮も収まらない帰り際、何と『空月庵むた袋』の所蔵者 伊藤様(赤間が関の大年寄・本陣・杢之允子孫で東京在)にぱったり出遇ったのです。きっと菊舎が引き合わせてくださったことでしょう。ありがたいご縁に感謝するばかりです。
 日本の近世の自立した女性の生き方に興味を持たれ、来日された昨年のクラウリー先生と今回のレベッカ先生。すっかり意気投合し仲良くなりハグしてお見送りしましたが、明日からは私が京都・大津・宇治へと所用で出かけます。その中でも、菊舎展(10月18日~11月末)を開催する黄檗山萬福寺での打ち合わせが中心です。冒頭句のような宇治の田植うたに出遇えましょうか・・・。
 
   (岡 昌子)   2017年5月24日

頭陀袋 その三十七】 
 昨今は、菊舎生誕地も過疎が進み空き家が目立ってきました。しかし、私は菊舎の育ったこの自然豊かな田舎が好きです。菊舎が居た当時と風景はそう変わっていないと思いますが、交通や通信網は大きく変わりました。お蔭で私は菊舎尼を通じて、全国各地の先生方や会員の皆さま方と交流をさせていただき、それがとても楽しいのです。
大岡先生とお会いしたのは一度きりですが、その後、菊舎図書を発行する度ごとにお届けしていました。それに対し、いつも礼状をくださった先生でした。
一字庵菊舎俳句集』(平成11)は、資金もなく菊舎尼には申し訳ないほどの粗末な体裁の俳句集(77頁)でした。しかも世間知らずで5000冊も印刷したのです。そして、最初に差し上げたのが大岡先生でした。その後、この句集の俳句を取上げ「折々のうた」に掲載くださいました。
   2002年「寝ざめ寝ざめ果は寝過す夜長かな
   2006年「山門を出れば日本ぞ茶摘うた
  そして、2007年3月の最終回となりました。   
 薦着ても好な旅なり花の雨   田上 菊舎

  『一字庵菊舎俳句集』(平成11)所収。
  江戸後期の女性俳人。父は長府(山口県)藩士。
  二十四歳で寡婦となり、尼になる。詩・書画・
  茶・琴などに長じた才女だが、菊舎を有名にした
  のは、三十歳を前にして始めた各地への大旅行。
  その当時の句に「月を笠に着て遊ばゞや旅のそら」。
  六十歳で家集『手折菊』四巻を著す。「薦着る」は
  乞食になること。そうなったとしても旅が好きだと
  いう見あげた決意。七十四歳で没。

平成11年刊行の『一字庵菊舎俳句集』が出尽くした平成25年秋、
念願の『田上菊舎句集』(262頁)を刊行することができました。
編集や装丁にも工夫をこらした俳句集に仕上がっています。
大岡先生を魅了した菊舎俳句を、多くの方にも味わっていただけたら幸いです。 
 
今年の桜は、例年にない見事な美しさです。その花の下に佇むと、西行を囲み松尾芭蕉も菊舎も大岡信先生も、ひとつ花莚ににぎやかに詩の宴を開いていらっしゃるように思えてなりません。    合掌
 
一字庵菊舎俳句集  田上菊舎句集 
    (岡 昌子)   2017年4月16日
頭陀袋 その三十六】
 平成12年下関市の文化講座に講師としてお越しになった大岡信先生にお目にかかり
「上野さち子先生ご労作の『田上菊舎全集』がもうすぐ出来上がりますね」とお話しすると、大岡先生は「僕もたいへん楽しみにしています」と仰いました。
そして秋には待望の『田上菊舎全集』上下二巻(発行 和泉書院)が装丁も美しく刊行。心躍らせつつ大岡先生の序文「田上菊舎を読む楽しみ」を一気に読みました。
その時のワクワク感は今もしっかり覚えています。3頁にわたる全文をここに掲載したいのですが、長くなりますので抜粋してご紹介しましょう。

 田上菊舎を読む楽しみ 
                       大岡 信
  田上菊舎は、もし古人を今甦らせることが可能なら、女性としてはまず真先に甦らせ、その謦咳に接してみたい人である。他の女性にはどんな人があるかしら、と頭の中で探ね人をやってみると、清少納言、和泉式部、いやそれよりも以前に大伴坂上郎女や紀女郎もいるし、下っては後深草院二条のような女性もお会いしてみたい女性たちである。けれども江戸時代となると、なかなか見つからない。俳人に限っていうなら、菊舎よりも十数歳年長だった武蔵八王子出身の榎本星布には逢ってみたかったと思う。
この人は齢三十九歳で寡婦となったというが、二十四歳で夫に死別した菊舎同様、尼になって以後の女一人の暮しが生み出したものが、どれほど豊かに創造的だったかを、一種驚異の思いで顧みさせる点で、菊舎尼にせよ星布尼にせよ共通しており、おのずと日本における尼僧文学および尼僧文化の豊かさについて思いめぐらすことを、私たちに誘いかけてくるのである。
・・・・菊舎句紹介・・・
 私はどうも田上菊舎の句が、わけても開放的な性質を強く持っていることに惹かれているらしい。それが、江戸時代という時代の中でどれほど特筆に値することだったかということを思うゆえに、田上菊舎という女性文人が存在したことを、限りなく尊いことだとおもうのである。
・・・・
  最後に、これは野次馬的好奇心のあらわれとして上野先生には一蹴されてしまうかもしれないことだが、二十四歳で寡婦となり、二十八歳からは解き放たれた若駒のようになって、日本の都市、農山村、漁村から、九州長崎のようなところまで健脚で征服しつくし、詩・書・画・弾琴・茶会その他、文人墨客のマスターすべき條々のすべてをわが物としていた爽やかな女人が、時に男性たちの憧れの的になったとしても、少しも不思議ではなかっただろうと思うのである。全集の書簡集などに、そういう面でのやりとりの片鱗でもうかがえるなら、私の菊舎像もさらに完全なものになるのだが。


  この大岡先生の最後の言葉を受けて、上野先生は私にこう仰いました。
 「私もそう思う。ただ私には時間がもうない。ここは、岡さんあなたに頼む・・」と、
 上野先生は私に宿題を残して、平成13年9月22日に逝去なさいました。
 私はこのことについて、大岡信先生にお返事することもなく、ついに逝かれてしまいました。
 
   (岡 昌子)   2017年4月11日

頭陀袋 その三十五】 
 大岡信先生の訃報に接し、いただいた便りの数枚を取り出しなつかしく思い出しています。
 メッセージ
菊舎さんがもし今日ご存命だったなら、お目にかかってさまざまなお話をうかがってみたいものです。
日本の全歴史を通じてお目通りねがはしい筆頭の女性文人です。その気象の闊達なさまは、お書きになった文章に余すところなくあらはれゐます。好ましい方です。
                               大岡 信

これは、平成15年11月11日~30日まで、山口県立美術館において開催した、菊舎生誕250年記念「旅する女流文人田上菊舎展」の開会式に寄せてくださったものです。
大岡信先生とのご縁は、菊舎研究家で俳文学者の上野さち子先生が取り持って下さったことからでした。
 上野先生は、平成12年秋刊行予定の「『田上菊舎全集』の序文を大岡信さんに書いていただかれたのです。そのお礼だったのでしょうか、上野先生から電話をいただき、「菊舎の里・豊北名産のあの梨を大岡信さんの許に送ってもらいたい」と頼まれました。というのも、私の句友の農園産豊北梨をときおり上野先生にお届けしていた関係で、「あのおいしい梨を大岡さんにも・・・」という思いがあったようです。その荷物の中に菊舎顕彰会の会長として、「折々のうた」の愛読者の一人としてご挨拶を同封させていただいたのが最初でした。もちろん上野先生の快諾も得てのことです。菊舎顕彰会発行の『一字庵菊舎俳句集』を印刷中の平成11年秋のことです。それから、しばらく後、ささやかな菊舎の俳句集が出来上がり、大岡信先生にもお届けしたところ、早速、朝日新聞に連載中の「折々のうた」に次の菊舎俳句を掲載くださいました。
 
   故郷や名も思ひ出す草の花  田上菊舎

 『菊舎俳句集』(平11)所収。天明から文政まで、江戸後期の爛熟した時代に、漢詩・書・画・琴・和歌・茶道など諸芸に達し、かつ郷里長州(山口県)から奥州・江戸・京都・長崎その他へ度重なる大旅行をして各地で文人墨客とも親しく交友した一級の女流文人。久しぶりに故郷へ帰った時の吟で、「名も」の「も」が実に効いている。二十四歳で夫に死別、出家して尼となるが、以来全面開花。

大岡信先生のことは、何度かに分けてお話しいたします。
                           合掌
    (岡 昌子)   2017年4月08日
頭陀袋 その三十四】
 「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」とバタバタ月日は過ぎ去っていきますが、
皆さんお元気に春をお迎えでしょうか。私はちょっとしたハプニングにあい、肩を落としていましたが、気を取り直して活動を再開しています。
20年前、菊舎の一字庵を継承した時から、文台に附属している俳諧古文書の読みを試み、大学ノートに記していたのですが、それをデーター化すべく、ここ数か月入力作業をしていました。
ところが、頼っていたパソコンの外付けハードデイスクが壊れ、復旧不可能となりました。数年前までのデーターはUSBに保存していたのですが、近年の研究資料の更新部分も消えてしまい、 
春愁や危うきものに電子機器
と詠んで、あきらめました。これまで菊舎関係の出版を沢山してきましたが、その重要性を再認識する出来事でした。

一字庵文台附属の美濃派伝書は、『俳諧十論』『十論為辯抄』『十論聞書』『露川状』『筆論』『俳諧略系』『遺訓正花論』『獅子庵の辯』『篗(わく)纑(かせ)輪(わ)』『百里鶯』『温故暁我』『雑字類編』『五竹師句評抜書』『夢の三とせ』『神武権衝録』『横物3冊』などです。これらを翻刻・分析して研究してくださる方があればいいなと切に願っています。
近世の俳諧史に興味をおもちの方があれば、地域に残る俳諧関係の古文書が眠りから覚めることができるのではないでしょうか。
 
 只今菊舎顕彰会は、新年度の会員(会費1口1000円)募集中です。
5月7日(日)午後1時半からの総会では、七絃琴と関係資料展示や、中村佑研究員の映像「菊舎を追って」をいたします。
6月18・19日は、島原・雲仙の菊舎ゆかりの地を尋ねる会員研修をいたします。その他の行事は追々お知らせいたしますね。
「菊舎顕彰会はいいよ」との声が、風の便りに聞こえてきました。温かい応援、ありがとうございます。
 
   (岡 昌子)   2017年3月26日

頭陀袋 その三十三】 
  カッチ カチ カチ カチ カチ~ 教室に 拍子木の音が響きます。
外国人に日本語を教える会「俳句相撲春場所」のはじまり~はじまり~
烏帽子をつけ、軍配をもった行司役兼・呼出しの私と、青色と赤色の法被を着た東西組の世話役2人が正面に現れ、いよいよ俳句相撲の取組の開始です。相撲をとる関取は、受講者の作った俳句。
 勝敗は受講生が持つ青と赤のうちわの数で決定。俄然、会場の雰囲気が盛り上がり皆さんの頬も紅潮気味!
 一回戦でござりますー。
 ひがしー 「春寒しボタンをとめて帰る道
 にーしー「こどもたちなべをいっしょにたべましょう
東、青が登場して、句が読み上げられる。西、赤が登場して、句が読み上げられる。
そこで、見合って、見合ってー。ハッケヨイ、ハッケヨイ、ノコッタ
一斉にどちらかの団扇をあげる。
 そのたびごとにあがる歓声と拍手。跳び上がり喜ぶ人、仲間の健闘をたたえる人・・・。
対戦が進むごとに全員大興奮。それは愉快でうれしい光景でした。
国や育ちや肌の色が違おうと、みんなが一つになって繰り広げられた俳句相撲。
学びあう喜びと尊さを心底感じた春の夜の2時間でした。
それにしても、20数年前から外国人の方にあたたかく寄り添い支援されてきたメンバーの皆さんのご努力に深く頭が下がりました。記念の一句を持ちカメラに収まる受講生の皆さんのお顔が素敵でした。
最後に、横綱になった一句と、ほかの皆さんの俳句をご紹介しましょう。

雲南の河あたたかし桜咲く・・・横綱句
 ・春さむしボタンをとめて帰る道
 ・こどもたちなべをいっしょにたべましょう
 ・待ちわびるアルゼンチンの夏休み
 ・あきのつきほしもあそぶやわれもみる
 ・おかあさんほたるみましたとよた町
 ・吉林の根雪は布団純白に
 ・セミのこえ夕暮れ時に起された
 ・はるきたらけんこうのためさんぱいす
 ・受験の日お守りもたせ祈りこめ
 ・ゆきつもるきょうとのおてらめぐるかな
 ・川の裾眩しくゆれる花いかだ
 ・あかいばらかおりをはこぶラブレター
 ・もりできくおうむのこえがきもちいい
 ・きらきらとはるのあわゆきてにうける
 ・忘年会さけでかんぱいおさしみと
 ・テレビ点け笑顔が素敵新垣結衣
 ・春の朝早く起きろよパン屋さん
 
    (岡 昌子)   2017年3月11日
頭陀袋 その三十二】
 下関に「外国人に日本語を教える会」というボランティア団体があります。
その会の方から、生徒に俳句を教えて欲しいという要請を受け、20日の月曜日、会場の海峡メッセに行ってきました。受講生の出身は東南アジア、中国、韓国、アルゼンチンなどさまざまですが、これまでのご指導と本人の努力の賜か、私の話はおおよそ理解できる力をつけておられるように感じました。開始時間の夕方6時、お仕事帰りの駆け込み組も加わりにぎやかになったところで授業開始です。
 最初に、女性俳人菊舎の生誕地は下関であり、俳句を詠みながら諸国を巡った旅人であることなど簡単に紹介した後、いよいよ俳句の学習・・・。運営メンバーのおひとりが「下関の名所かるた」を持参くださっており、その中の数枚を使って、季語と季節を当ててもらいます。5・7・5音の短詩、季節のことばである季語を一つ入れるなどの俳句のきまりを説明する導入教材にはうってつけでした。
 早速、当日の受講生21名が初めての俳句作りに挑みます。辞書をひく人、談笑している人、じっと考え込んでいる人、質問する人・・・。助言を加えつつ30分間、全員が一句を仕上げました。 
 一旦休憩したあと、後半は出来上がった俳句で相撲をとります。
メンバーの先生方に、生徒の一句ずつを急いで大きく清記してもらい、相撲の準備。
勿論、無記名で他の人には作者はわかりません。誰がどのような俳句を作ったのか、一同興味津々です。皆さんもお楽しみに! 次回につづく・・・。
   (岡 昌子)   2017年2月23日

頭陀袋 その三十一】 
 平成29年丁酉の小正月、皆さまお元気でお迎えでしょうか。
斯くいう私、正月3日から風邪にてダウン! 呼吸器が弱いため抵抗力がなく、6日には、家人に連れられ受診・点滴・・・静養。
そんな中、目に飛び込んだ一冊の本『私が日本人になった理由』です。
 この本は数年前、ドナルド・キーン氏の側近の方から恵贈され一度は読んでいたものです。
キーン氏ご所蔵の芭蕉軸が取り持つご縁で、こちらからも『菊舎俳句集』や『菊舎慕情』をキーン氏の許へお届けいたしました。
ドナルド・キーン著のこの本が、今年の私の読み初めです。
改めて拝見して、日本語に魅せられた氏の日本文化に対する熱い思いと、造詣の深さに感動を覚えました。
 この最後に「100年先の皆様へ・・・日本語こそが日本人の宝物と信じて疑いません。ぜひ守ってください。これこそは私の一番の願いです。お願いします。」と記されています。
 この文を読んだ時、昨夏来日されたアメリカ、エモリー大学のクラウリー先生を思い出しました。
 私たち日本人がすっかり忘れ去っている日本人としてのつつしみある物腰とこころを、米国人の両氏のうえに強く感じるのです。
以前から、心ある識者は「文化を大切にしないところは廃れる」と警鐘していますが、その基となる日本語が、どんどん失われている現状は目を覆うばかりです。
特に、日常会話の出来ない子どもの増加は、深刻の一途をたどっていると言われています。
 「日本語こそは宝物」というキーン氏の思いをしっかり受け止め、私は俳句を通して、日本語の素晴らしさを伝えていく一年にしたいと決意しました。
お蔭さまで風邪も完治し、心身ともにすっきりと酉年のエンジン始動です。
    (岡 昌子)   2017年1月15日
頭陀袋 その三十】
新年おめでとうございます。
本年もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
菊舎は酉どし生まれです。
  雲水の翅のさばやとりの春   
還暦を迎えた新春の一句です。

酉どしの今年、菊舎顕彰会はまた、大きく羽ばたくことになりそうです。
行事は、追々お知らせいたします。
とはいえ、私も来月2月2日には満73齢となり、
191年前の同日、生誕地田耕の専修寺住職あての書状に
何をして七十三つをくらしぬと とへどこゝろにあとかたもなし
と記している菊舎と同じ齢となりますし、
皆さまの強力な支えがなければ活動ができなくなりそうです。
お力添えをお願いいたしますとともに、
皆さまのご健勝を切に念じ、初春の御挨拶といたします。
   (岡 昌子)   2017年1月1日

頭陀袋 その二十九】 
菊舎俳句で2016年の年の瀬のごあいさつ。

 片づかぬものやこころのすゝ払ひ
 親といふ名になをとしを惜みけり
 こゝろこゝに洋々たりな年の波

大掃除をしながらも、あれを思いこれを思い
きれいさっぱりいかないのが、心の煤払い。
ましてや、子を持つ親ならばなおのこと・・・。
しかし、その日その時、懸命に生きた今年。
生きたというよりも大きな恵みに生かされた命。
休むことなく寄せては返す波のように、ご恩のただなかに
今年も暮れていく・・・。心は感謝にみちあふれる。

菊舎顕彰会の皆さん、ホームページをご覧いただいた皆さん、
たいへんお世話になりました。心よりお礼申し上げます。
    (岡 昌子)   2016年12月30日
頭陀袋 その二十八】
 「青のりに先づ春を見る歳暮哉
菊舎の生誕地豊北町は、昔も今も海山ともに美しく、海産物や農産物にも恵まれている。
菊舎が地元の俳友から特産の青のりをお歳暮にもらい、その礼状に書き添えたのがこの一句。
戴きものに対して、必ずと言ってよいほど句や歌を詠み、お礼をしたためている菊舎。
「俳人たる者、見習うべし!」と、時には真似もしてみるが、これが、なかなか~。
ついつい、文明の利器に頼ってしまうことが多く、面目次第もない。
時のたつのは早く、一字庵十一世となって20年が経ち、在任年数は歴代2番目となった。
そして、菊舎の齢74も、そう遠くない将来となったいま、何をなすべきかと自問自答している
12月である。風邪が流行ってきたようで、お気をつけください。
   (岡 昌子)   2016年12月10日

頭陀袋 その二十七】 
 「秋はゆくにゆくにと言ふて遊びけり」菊舎
私も全くこの俳句のような一週間を過ごした。

11月23日「礒村秀雄の詩と童話」豊北公演鑑賞。
   24日 山口ケーブルテレビ「にんげんGO!」取材
       吉本興業山口県住みます芸人の「どさけん」来訪、案内。
   25日 ヴォーカルデュオ 
       フォッサマグマin下関「五感が開く健康増進ライブ」鑑賞。
   26日 山陰観光列車みすゞ潮彩イベント「おもてなしトレイン」
      「旅に遊び俳句と遊ぶ」と題して、下関駅・滝部駅間に乗車トークショー。
   27日 本願寺山口別院報恩講参拝。

詩・童話・ライブ・香り遊び、そして、取材や観光協力もしたが、疲労感はなかった。
むしろ心身ともにリフレッシュして、冒頭句の菊舎の気分を味わった。
26日の乗客の皆さん!
短い出会いでしたが、俳句を詠んで菊舎顕彰会に送ってくださいねー。待っています!
  山陰観光列車みすゞ潮彩イベント「おもてなしトレイン」
    (岡 昌子)   2016年12月4日

頭陀袋 その二十六】
 菊舎顕彰俳句大会が終わり、ほっとした途端、帯状疱疹に罹り、この頭陀袋も棚にあげたままになってしまった。 幸い大した痛みもなく、症状としては軽い方であったが、「甘く見てはいけない」との助言を頂き休養を心掛けた。
 歩行神と称された菊舎が旅に出ようとしている時、「齢を考えて自重せよ」と言われた折の気持ちをちょっぴり味わった。しかし、その反動のように、先週は山口県俳句大会をはじめ二つの俳句会と、下関市立歴史博物館(旧 長府博物館)の開館式など外出が続いた。
 開館記念企画展は、攘夷戦・下関戦争・四境戦争の展示で、菊舎作品が一点もなかったのは寂しかったが、沢山の知人と久しぶりに出会うことができた。
 第10回山口県総合芸術文化祭・第53回山口県俳句大会の県知事賞は、「帰国して先づ大根を引きに行く」句で磯部多恵子氏が受賞した。菊舎生誕地の田耕俳句会メンバーであり、力いっぱいお祝いの拍手をおくった。その上、当日の席題「明」では、夫君の清昭氏が、「二次関数解けて明るき障子かな」で特選となり夫妻ダブル入賞の快挙であった。
 菊舎が晩年に書き残している文中の「この地に風雅の繁茂せんことを・・・」の思いを継いで活動している私にとって何よりも嬉しい。小・中・高校生の部では、夜の俳句会仲間の小学3年生の孫の「ぬいぐるみ右と左に昼ねかな」も佳作に入っていた。
 これからも、菊舎尼の夢に近づけるように、切磋琢磨しつつ大いに楽しみ遊びたいものである。
下関市立歴史博物館開館の日に
   (岡 昌子)   2016年11月23日

頭陀袋 その二十五】 
 去る16日、今年度の菊舎顕彰俳句大会が終わった。
今から62年前の昭和31年の第一回大会の入賞は
すれちがふ秋灯食堂車の華麗」下関 津森 妙子
妻の指傷つきやすし栗実る」 下関 浜井 六迦
である。
1964年の新幹線開通前、食堂車付列車は私どもの憧れの的であったことを思い出す。
山口県知事杯に輝いたこの句は、一瞬を見事にとらえて共感を呼んだのであろう。
それから半世紀、生誕地で脈々と引き継がれてきた本大会で、久しぶりに地元の俳人が県知事杯と市長賞を受賞した。(受賞作品はこちら)
人口減少がとまらない片田舎でがんばっている俳句仲間にとって、大きな励みになるものと思う。この大会が契機となって、夜の句会(毎月第四月曜日・妙久寺)に新メンバーが加わり一段と活気づいてきた。
大会を終えた私は、読書(『俳句の宇宙』長谷川櫂 著)や顕彰会所蔵資料の整理にとりかかる。
    (岡 昌子)   2016年10月23日

頭陀袋 その二十四】
 ここ田耕は、たすき(・・・)という名の通りに、おいしいお米がとれる地です。
稲刈りの終わったあとの株から穭(ひつじ)とよばれる緑の芽が萌え出て
いる田んぼもあれば、黄金色に輝いている晩稲の田んぼも残っています。
農繁期にあたるこの時期、私も各俳句大会の選句に追われます。
しかし、近年はどこの大会も応募者の減少が続き寂しい有様です。
紙と鉛筆さえあれば年齢・性別・職業などに関係なく、作る楽しみ、
鑑賞する楽しみ、集う楽しみを味わうことができるのが俳句会です。
日本語がどんどん廃れている現状に、危機感を覚えざるをえません。
先ずは五・七・五音の俳句から、チャレンジしてみませんか。

 今年の菊舎顕彰俳句大会の下関市の児童生徒の応募は、
小中高合わせて17校、619名 910句でした。
大人の部は、東京から福岡までの132名178句の応募でした。
本日、どちらも選を終え、受賞者が決定しました。お楽しみにお待ちください。

 文化の秋です。俳句大会ってどんなものか覗いてみようかというお方、
あるいは菊舎生誕地の豊北町を一度は訪ねたいと思われているお方、
10月16日(日)の菊舎顕彰俳句大会にお越しください。初参加大歓迎です。

 会場の田耕農林漁家婦人活動促進センター(℡083-783-0001)に、
正午ごろにはお越しいただいて、席題一句を投句(締切12時40分)されませんか。
それをみんなで選句して、高得点15名の方々には下関市長杯賞が授与される外、
ホテルのペア宿泊券が贈呈されるホテル西長門リゾート賞も用意しています。
ふるってご参加ください。

当日のみの参加費は500円、午後3時半には終了予定です。
昨年の大会から
   (岡 昌子)   2016年9月27日

頭陀袋 その二十三】 
 たいへんに暑い夏でしたが、皆さまいかがお過ごしですか。
ここ菊舎生誕地は、7月中旬から1か月も雨が降らず、畑もひび割れ状態・・・。
今日は、昨日の雨で久しぶりに涼しい朝を迎えました。
そこで気分を切り替え、菊舎顕彰俳句大会(10月16日開催)の準備に精を出します。
大人は9月3日(土)が俳句の締め切りです。菊一句、雑一句一組として
ご応募ください。投句料は一組1000円です。
用紙はホームページから印刷できます。
子どもの部は、投句料は不要で、締め切りは9月15日(木)です。
山口県知事賞・市長賞・一字庵賞・教育長賞・選者特選賞・田耕地区振興協議会長賞
・カモンFМ賞・豊北観光協会長賞・北浦街道豊北道の駅賞・ホテル西長門リゾートなどもございますので、ふるってご投句くださいませ。お待ちしています。
    (岡 昌子)   2016年8月27日

 
頭陀袋 その二十二】
 7月18日の「俳句相撲大会つくの場所」には、多くの皆さまにお世話になり、ありがとうございました。その模様をNHKテレビが、 8月2日夕、山口県内に放映いたしました。(24日とお知らせしていた中国地方向けの放映は変更順延されます)
当日の楽しい雰囲気は、視聴者の皆さんにも伝わったようで大きな反響を呼んでいます。「これから、あちこち巡業をされたら」などと言われ・・・さて、さて、「どうしたもんじゃろな~」です。

 その余韻さめやらずのなか、8月3日、アメリカ、エモリー大学のクラウリー先生が来日され、2年ぶりの再会をしました。今回は前回と違って、ここ菊舎の生誕地・田耕の菊舎顕彰会理事宅に3泊。私宅では、菊舎著『手折菊』を前に、じっくりと菊舎談義を交わしました。そして、場所を吉村亭に移し聞香とお茶を楽しみました。 その時の様子は菊舎の里で。
 猛暑続きの真昼のお座敷で、組香【籬香】の筵でしたが、クラウリー先生は見事に中(ちゅう)、当り。私は不中~と判ったそのとき、目の前の小さな中庭に真っ白な蝶が舞い降りてきて、すぐに消えると、小ぶりの黄蝶が現れてまた消えました。
時間にして十数秒、まさに天降 (あも) りし真夏の蝶ふたつ・・・。菊舎に惹かれはるばる海を越えて来られたクラウリー女史を歓迎しに、菊舎尼が蝶となって現れたとのではないかしら・・・。こんな話しをすると、終に当代一字庵も暑気あたりしたかと言われそうですが、帰宅後、嫁にはなすと、
「お母さん、前にもそんなことがありましたね」と相槌をうってくれました。何より隣席の多恵子さんも、夢のようなこの一瞬をともに目にしたのです。不中の二人だけが捉えた残暑の蝶ふたつでした。菊舎著の『手折菊』の翻訳をめざし研究中の女史の真摯なお姿に、深い感動をうけた濃密な二日間を過ごさせていただきました。
クラウリー先生_菊舎掛軸を前にして
   (岡 昌子)   2016年8月7日

 
頭陀袋 その二十一】 
 今回は皆さまから頂きましたお便りを紹介したいと思います。

 ★ お便りコーナー
 【会員研修旅行―6月24・25日】
○大雨警報下、心配致しての出発でございましたが、雨も降らず、暑い思いもせず、いい旅をさせて頂きました。お世話下さいました方々に心より感謝致しております・・・。

○ご準備から当日の実施まで、何から何まで参加者のため、細かいご配慮を頂き、おかげさまで大変有益で思い出深い旅と俳句修行をさせて頂きました。・・・頭がちょっと活性した感じがしました。

○早速に旅吟、記念写真を届けていただき、楽しかった旅を思い出しています。研修旅行には、何時も満足して帰宅させて頂けるのはなぜでしょうか。やはり、万全の用意とご苦労をいただいているからだと感謝感謝です。

○大変機知にとんだガイドのお蔭をもちまして、有意義な満足感の中に浸ることができました。感謝申し上げます。

○いつも菊舎の旅、有意義で楽しく素晴らしいです。会長をはじめ顕彰会の皆さまのご苦労に感謝感謝です。八十路を越えた私に元気を頂きました。

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【俳句相撲大会つくの場所―7月18日】
○梅雨明けにふさわしい、盛大で何より楽しい会でした。

○盛会のうちに終わりましたこと、きめ細かいお心遣いの賜と敬服いたしております。私もしっかり楽しませていただきました。

○お疲れ様でした。あれだけの大会の運営をされるご苦労を、笑顔で乗り越えられ尊敬します。お手伝いできたこと、とても嬉しく、また充実感いっぱいでした。

○私、俳句を始めて2年余り、初戦を突破した時には本当にうれしく、たくさんの景品をいただき心苦しくもありました。参加賞の菊舎俳句手帖、大切に使わせていただきます。

○あれだけの企画を実行される方々の懐の大きさに感服します。月一回の句会も休みがちでしたが、やはり、俳句は座を楽しむものと、つくの場所で再認識しました。これからも細く長く続けようと思います。参加記念品もたくさんありがとうございました。

○俳句相撲つくの場所に出席し本当によかったー(横綱は運)。とても楽しい1日でした。相方が居ない中(急用)、皆さんがよく心遣いくださり、ありがとうございました。助かりました。全くの素人(少々かじるも基本はダメ)。
 これから少し勉強し俳句を楽しみたいと思います。皆さんによろしくお伝えください。  
  
    (岡 昌子)   2016年7月24日

頭陀袋 その二十】
 『季寄せ』や『歳時記』には、梅雨に関する季語がたくさん紹介されています。たとえば、走り梅雨・梅雨入・青梅雨・深梅雨・長梅雨・梅雨じめり・梅雨畳・梅雨の川・梅雨寒など・・・。今は荒梅雨、それに梅雨出水。梅雨明けが待たれます。
 そんな梅雨最中、7月6日には地元豊北町の滝部小学校、昨日13日は豊北中学校、先月末には、豊北高校に出向き、俳句についての話をしました。愛らしい小学一年生から、大きな体格の高校生を相手に、生徒らが実作した俳句を使って、俳句の基本を教えてきました。三校の校風はすばらしく、児童生徒も純朴でとても好感をもちました。中学校では、これから投句箱を設置するとのこと。たいへん楽しみです。ここ半月の間に滝部の小学校、中学校、高等学校と回ったことになります。このように、小中高一緒に俳句への取り組みが始まったことは、菊舎の生誕地としても、菊舎顕彰会としてもとてもうれしいことです。
 さて、いよいよ18日(海の日)の「俳句相撲大会つくの場所」が間近になりました。
昨年から、この日のために構想を重ね準備を進めてきた企画です。
菊舎顕彰会が、十数年前から創意工夫を重ねてきたユニークな俳句相撲を、会場の皆さんに喜んでもらおうと、約30名のスタッフが張り切ってお待ちしています。NHKをはじめ報道各社の取材も入り、広く紹介をされる予定ですが、「百聞は一見に如かず」、どなたでも入場できますので、ぜひ、お越しください。
海の日、きっと真っ青な海があなたをお迎えしてくれることでしょう。
では、18日(祝・月)にお目にかかりましょう!
 角島大橋
   (岡 昌子)   2016年7月14日

 
頭陀袋 その十九】 
 菊舎顕彰会が、このたび新作した二つの品を紹介します。
一つは菊舎の俳句手ぬぐいです。
これまでも菊舎自筆の句入り手ぬぐいを作ってきましたが、今回は、俳句相撲の行われる「つくの海岸」の天が瀬を詠みこんだ「年なみもしらであまが瀬わかめかな」の一句です。
 これには、故郷の「今年七十六なる漁翁、寒風はげしきに天ケ瀬に行、予が為にとて、和布をかりてをくり越せしを、よろこび謝して」と詞書があります。原本所蔵者にご了解いただき、菊舎の筆跡を複製した和手ぬぐいです。この和手ぬぐいを使って、俳句相撲のスタッフ用にそろいの袖なしを手作り中です。
「仕上げをごろうじませ」・・・。
 その他、行司や呼出しの衣装をはじめ、相撲の雰囲気を味わっていただこうと趣向をこらしているところです。
 次の一つは、『俳句手帖』です。新年・春・夏・秋・冬の菊舎の俳句116句を頁ごとに掲載、巻末には、菊舎年譜・行程図をはじめ、句会控えや、俳句作りの参考になる季寄せも付けました。
皆さんの作句のよきお供になることと存じます。
この二つの新作品、7月18日の相撲大会の会場でお披露目いたします。
 
  (岡 昌子)   2016年6月19日
 
頭陀袋 その十八】
 生誕地は、代田から、植田・青田と日々に変化し、目に美しい緑の風景となってきました。
梅雨に入り蛍の飛び交う田舎ぐらし・・・これもまた、いいものです。
 6月24日25日は、会員研修「菊舎ゆかりの地めぐり福山」があります。しかし、いま、私が走り回っているのは、7月18日開催の俳句相撲大会「つくの場所」の件についてです。
ありがたいことに、多くの企業や有志からご協賛をいただき、地元名産の景品が沢山寄せられています。そして、募集をしていた俳句相撲の関取衆も出そろい、和歌山から福岡、山口県内各地から16チーム32名が、ユニークな四股名を付け揃い踏みする見通しもたちました。魅力ある景品を目の前に、スタッフや私も出場したくなってしまうほどです。今年は観覧者の皆さまにも、名産品が当たる抽選会がありますので、7月18日海の日には、会場のホテル西長門リゾート3階コンベンションホールにお越しください。開場は13:00です。当日は連休、夏休みなどで道路の混雑が予想されます。乗り合わせたりして早目のご出発をお勧めします。くれぐれも事故のないように願っています。
 俳句相撲、長府場所から(2015年8月)
   (岡 昌子)   2016年6月6日

 
頭陀袋 その十七】 
 12日、地元の県立豊北高校に招かれ、菊舎の話しをしに出かけた。終礼の時間を使ってのわずか20分であったが、全校生130名が静かに耳を傾けてくれた。下関旧市内や長門から通学する生徒もいて、一字庵田上菊舎の名前を聞いたのは、初めてという人もいたであろう。
 「今から二百数十年前の江戸時代、ここ長門の国・田耕から、遠く『奥の細道』の独り旅に出た女性がいます。その人の名前が田上菊舎です。・・・」と語りかけ、私の宿命的ともいえる菊舎との出遇いについて話した。病苦に泣いた私の高校生活であったが、それがなかったならば、菊舎と出遇うことは生涯なかったであろうことを・・・。
 亀井勝一郎の「人生は邂逅(出会い)と謝念(感謝)である」の言葉を、今まさに実感としていることも・・・。菊舎との邂逅は、私の人生を大きく変えるものであった。そんな体験談も交え、菊舎にこんな俳句があることを紹介した。
 「受けて習ふいかなる鞭の柳をも」
 「流れ寄るものははずして柳かな」
 「雪の竹や散らす力はありながら」
 芥をさらりと流していく柳、冷たい雪に枝垂れている竹を詠みながら、はられてはり返すは俗中の俗なりという柔にして強い精神力を持ち合わす菊舎に、私は惹かれてやまない。
 郷土が輩出した文化史上でも異彩を放つ菊舎のことを、知っていただく機会を作ってくださった校長先生や教頭先生に感謝するとともに、豊北高校の生徒の皆さんにも、素晴らしい邂逅が訪れんことを念じつつ、校門を後にした。
 
  (岡 昌子)   2016年5月14日

 
頭陀袋 その十六】 
 新年度を迎え地域の振興協議会や文化協会の総会に出席した。主催者は資料作りや前準備に追われつつも、当日どのくらい出席者があるか気がかりなものである。
 菊舎顕彰会も5月8日(日)午後1時から総会を開催するが、少しでも多くの会員さんにご出席いただきたいと願っている。本年は、総会終了後(一般の方も入場可)、副会長の古川哲郎氏が、菊舎の歩いた山口県内の街道を追跡した「哲郎のてくてく旅」を、映像で紹介しながら体験談を語るとともに、顕彰会が昨年度購入した菊舎直筆の掛け軸など展示解説する。
 旅の頭陀袋には、矢立墨筆のほか茶器も携えていた菊舎であるが、今回、彼女の風雅の集大成ともいえる赤間関 伊藤家の空月庵を借り切っての茶会の案内廻文が入手できたので、皆さまにご披露したい。
 発足60周年を迎えた菊舎顕彰会は、これからも菊舎の偉業を追慕・顕彰しつつ、文化の向上に寄与する活動を着実に行っていきたいと思っている。
   (岡 昌子)   2016年4月23日

 
頭陀袋 その十五 
 丸山公園の桜ほどに貫録はないが、夫の植えた二本の枝垂れ桜は今年も美しい花を咲かせてくれた。
日ごろ枝垂れているだけに、花を咲かせる数週間前からの枝の張りかたは尋常でない。開花に向けて総力をあげている樹の姿は、まさに陣痛のごとし。花一分、二分、三分と開花をうながす生命力のすごさに感動する。咲ききった枝は、また元の枝垂れにかえり、何事もなかったように風に揺られている。目に見えない命の世界。それを教えてくれる我が家の枝垂れ桜である。
 その樹の下に三人の孫を誘い出し、にわかに花見をする。ちっちゃい弁当箱におむすびだけの粗末なお弁当だが、天蓋のさくらは見事・・・。この花の樹内を透視すると、桃色の樹液が勢いよくめぐっていると聞いたことがある。そんな話をしたり、おじいちゃんの思い出話もしたりしてにぎやか。
 ふと、40年前にも同じように庭に莚を広げて、子どもと弁当を食べていたなぁーとタイムスリップ。思えばアッと言う間。しばし過去を懐かしんでいると頭上から孫たちの声。この樹は、孫たちにとって木登りに格好な枝ぶりで、時には縄ブランコも吊るす。夏になれば蝉の生まれる樹となる。
 丸山公園の桜も良いが、我が家の枝垂れ桜は、私にとっても心通わす格別な一樹なのである。
 雲も鳥も見かへる寺のさくら哉 菊舎
  (岡 昌子)   2016年4月14日
頭陀袋 その十四】 
 顕彰会の活動も新年度がはじまり、案内資料など次々と発送している。
なかでも毎年一度の会員研修はたいへん好評で続けること17回。長野、奈良、岐阜、滋賀、京都、大阪、防府、萩、福岡、佐賀、長崎、阿蘇、大分と「菊舎ゆかりの地めぐり」は、いつ最終回を迎えるのか私にもわからない。「こんな楽しい旅はない。やめないで・・・」との参加者の声に背を押されて、まだ、行っていない土地を選定していく。何しろ、生涯の大半を諸国行脚に費やした菊舎であるから、旅先の候補は尽きることなくあるのだが、お年寄りにも優しい行程と宿や食事なども慎重に吟味して旅先を決定する。
 今年は菊舎ゆかりの港町、鞆の浦、下津井方面に、本職ガイド顔負けのスタッフが、菊舎のエピソードなども交えて、皆さんをご案内すべく準備している。
 期日は6月24・25日なのに、すでに次々と申込みが入っていて、私は全国各地の会員さんと逢えるのを今から楽しみにしている。
年会費一口1000円、会員募集中。お仲間に入っていただくと嬉しいのですが・・・。
ご入会のお願いはこちらpdfファイル
   (岡 昌子)   2016年4月1日

 
頭陀袋 その十三 
 10日間歩きに歩いた京都の寺社めぐり、それぞれに趣あり。どこを訪ねても菊舎の姿が面影に立ち心満ち足りた毎日だった。金閣寺、銀閣寺の風格の良さはさすが。今回は特に、文化9年の冬夜、60歳の菊舎が訪れ「くむやこよひ氷を煮たる水の味」、「冬しらぬ草やみながら紫野」と詠んだ紫野大徳寺塔頭の高桐院に足を向けた。二百余年前、真峯禅師(大徳寺434世・泰勝庵7世)と暁の鐘が聞こえるまで茶室で過ごした菊舎の息遣いが聞こえてくるようで、離れがたい高桐院であった。
 大徳寺山内の禅師とは茶事を主に交流があり、中でも黄梅院の大綱禅師(大徳寺435世)とは親しく、その茶室・昨夢軒を借り、諸君子を招いて口切の茶会や七絃琴を弾奏している。
すでに、私は黄梅院を拝観していたので、このたびは高桐院に独り座しゆっくりとした。
時のたつのも忘れ、ふと、喉の渇きを覚え、皐盧庵の茶室でおうすをいただき、抹茶「紫野」と玉露を買い求める。そのあとは泉仙で鉄鉢料理を頂戴し、心身共に紫野の風情を十分に味わい帰途についた。
  (岡 昌子)   2016年3月27日

頭陀袋 その十二】 
 京都の留守居役の任務を無事に終え、自宅に帰ってきました。
田舎はまだまだ寒く、
又素の厚着にもどる鄙住い
なんて、ひとりごと ? ? ?
これまで京都に行く度ごとに菊舎が訪れたと書いている場所を訪ね歩き、
地図に○印を付け、まだまだと思っていた私ですが、おかげさまで
今回でほとんど網羅した感がいたします。
宇治の三室戸寺は、前回、門限となり参拝できなかっただけに
期待して山門をくぐりました。
 暮れはつる秋のかたみにしばし見ん
 紅葉散らすな御室戸の山
  (西行)
 山吹や宇治の焙炉のにほふ時 (芭蕉)
と、本山修験宗の別格本山三室戸寺を西行や芭蕉も訪れ詠んでいます。
菊舎は38歳の折、黄檗山萬福寺で

 山門を出れば日本ぞ茶摘うた
の一句を詠んだのち、三室戸寺に詣で
・・・「よもすがら月を三室戸あけゆけば宇治の川瀬にたつはさゞ浪
と人々となふる順礼うたなどおもしろく、ありがたく、かたへに佇みて
 猶ゆかし三室の月のおぼろ影 

と書き残しています。
 それから226年後に詣でた私、西国観音霊場の巡礼者には会いませんでしたが、
鶯のひと声が迎えてくれ、ありがたく、しばし参道に佇みました。
  鶯の初音に遇へる三室かな  昌子
   (岡 昌子)   2016年3月10日